随想 伊路波村から12~戦争

きっと戦争なんて永久になくならない。

そんなふうに思いはするけれど、
戦争の体験に接する時、
人間のあまりにも深い業に
人類の悲しさを見てしまう。

映画「夕凪の街 桜の国」を観た。

ひとつの映画の中にふたつの時代がある、
戦中世代と戦後世代。

親父が戦争を語ることはない。
どこの親でもそうであるように、
何故か戦争を語らない。

まるで人間をあきらめているかのよう。
変な言い方だけれど。

最終のできごと、広島と長崎での。
そのことはこの8月、毎年人々の
記憶を呼び覚ます。

落としたアメリカは日本での原爆の
犠牲者の倍の人々が放射能の犠牲に
なったと聞く。

被害、加害の不思議。

長い間広島に行く機会がなくて、
初めて原爆記念館を訪ねたのは
8年ほど前になるだろうか。

不思議に静かな広島の街。
街を流れる川。

とても長い時間を館内ですごすことは
できなかったのを覚えている。

その後、広島の人たちと縁が繋がった。
物凄い情景、物凄い体験は
人間をそれだけ強くするものなのだろうか。

広島の人たちに、大きな愛と、寛容を見る。
そして同時に強さを。

子供達にも見てもらいたい「夕凪の街 桜の国」。
桜の国。
散っては、根の養分となって重ねていく歴史。

いさぎよい桜。
武士。
特攻。

まだ続くのか、人類の業。

まだ続けるのか支配、被支配。

真実を知るときがきているのだろうか。

随想 伊路波村から13~応援の言葉

人間はさまざまな人生を歩んでいます。

悲しかったら「悲しい。」と
頭にきたら「もーーーー!」と
怒鳴りなさい。
一人で。

そのかわり嬉しかったら、
隠してないで、「ほんとにありがとう。」と
はっきり相手に言えばいいでしょう。

おいしい時も同じです。

気がつけば、相手の望むことを
先回りして。

気がつかなければそのままで。

頼まれたら、どんなことでも「ハイ。」と言って
してあげたい。
でもできるだけ。

聞かれたら「はいそれでいいです。」
「はいそれがいいです。」弁栄さんふうに
なんでも「ハイ。」でこたえたい。

ああ、指針や鑑(かがみ)は世の中に
いっぱいあるけれど。
なんで、そんなふうにできないのでしょう。

できないといっては悩み、
してくれないといっては悩む。
否定されては悲しみ怒り、
思うようにならなくてはイライラ。

お金の少なさが将来の不安をよぶ。
みんなしましょう。

でもできるだけでいいので、
なるだけ長いこと機嫌よくいましょう。

せめて今生きている間だけでも。
そしてせめて人間さんと一緒にいるときくらい。

自分への応援のことばです。(笑)

随想 伊路波村から14~こんな方が「夫子の間は善を責めず」

ハガキの世界での友人のありがたい言葉。
孟子さんの、父子間の親の子への接し方だそうだ。

あんまり正しいことばかりで子を責めると、
子は離れていってしまいますよ。
というような意味らしい。

そんな風に接してきた同じ職場の
親子関係は、親子の縁のすさまじき修行を感じさせる。
人ごとではないですが。

「えーさん日記」からある聖者のことを知った。
それは弁栄聖者。
思わず全部読ませていただいた。
目にみえる世界の不思議を明確に
説かれているようです。

抜粋

☆都合がよかったことも、悪かったことも、あとから
 考えれば、たいがい同じだ。

☆自己の奥の無尽の蔵を開き、益々新しく進むべきである。

☆極楽はここが明るくなってくるところ。

☆全ての罪より重い罪は、己の霊性を殺すことです。

☆犬の胎内で、犬の形に決定せる者が、出産まぎわに
 人間に早変わりすることはできない。
 老いて気が短くなり、愚痴っぽくなれば餓鬼になる。

☆人を嫌うのは自分に欠点があるからである。

☆人に生まれたうれしさ。
 人は万物の霊長とて,よろづの生けるものの長たるもの。

 仏教にては六道の中に於いて人の身をうけることは
 甚だかたきことと仰せられまして,
 何故に人は万物の長でありませう。

 衣食住の生活が他の動物よりもすぐれている故に
 霊長ともうすのではありませぬ。

 人に生まれればこそ,かしこき道をきき,かぎりなく
 救われる身となることができるので,
 この身のままが霊長ではなけれども,み法を聞いてこれを信じ,
 上もなき佛位にものぼるべきことができるのは,
 人間に生まれたうれしさである。

 かく受けがたき人身を受けたるかひもなく,一生たしかなる安心もなく,
 いかなるみ法に依ってたすかるべきかもしらずして,
 かえって我がままの心にて,
 つみとがを作りて,三悪道のたねのみにして,
 無量万ざいの苦しみをうけるとは,いかに愚かでありましょう。

 うれしいのは,人間に生まれて救いの道にあうたのが,
 しんじつによろこばしいのです。

☆私には御名を呼び上げる毎に微妙の霊感を以て答えたまふことなれば,
 ましてあなたに対して御答ない筈はない。

 然れば如何に心を致して御名を呼び上ぐれば,
 ミオヤの御答の響きが聞こえ上げられるであろうとならば,
 私は斯様に心を至して念じ上げ,
 また御答の響きが聞こえ上げられます。

 真実に如来様は私の真っ正面に在すことを信じ,深く念ひ上げて,
 ナムアミダ佛と余念なく,己が心の統一するまで念仏して居りますと,
 漸々に心も静まりて余念なく,只如来様のお慈悲の面影が
 自ずと彷彿として思われて 来るときに,何ともいわれぬかたじけない
 有りがたさの霊感が感じられて来ます。

 これぞ如来の霊妙の御答は耳に聞こえぬが,
 直覚的に心に聞こえられるのであります。

 あなたも斯やうに念を用いて一心に心を至して念仏して
 真正面の如来に向かって念じ上げ何時までも心の統一するまで念仏し,
 如来の霊響を聞きたまへ。

 始めの程はなかなか二時間も三時間もかかってもそれはあなたの
 一大事のことですから、辛抱なされ。段々に時間が短くも統一が出来て
 益純熟するに随ってついには念仏しさへすれば,
 忽ちに三昧に入って如来の霊響に充たされる妙境に
入ることが出来て来ます。

 之即ち感応同交が宗教の唯一の機関であります。
 もし感応の聞こえぬは,古人が
祈りてもしるしなきこそしるしなれ,己が心に誠なければ

ありがたき感動の言葉群。

江崎さんに感謝します。

随想 伊路波村から15~夢

山奥の細い道を誰かに載せていただいて、
乗用車が走る。

到着した作業現場にいる
以前からの顔見知りさんにご挨拶。
明日からここで働くんだ。

土木工事の作業現場宿舎で少ない荷を解く。
その日は眠ってしまった。

朝がきて、バイクに乗って高速道路の現場の
工事状況を視察する。

隣の工区との境も過ぎて、いつしか
道路の工事区間をも離れ、山奥の
大きな川の分岐点に座って、川の流れを眺めている。
「また働くんだ・・・ここで。」
となんだか憂鬱な気分。

帰り道、土を運ぶトラックやショベルカーと
なんども行き交う。

そしてショベルカーが土をトラックに積み込んでいる
場所で、ぼんやりとその光景を眺めている。
「みんなどうしているんだろう・・・・・・。」
と思う。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
学校から通知が来た。
もう一年大学に通わなくてはならない。

それも働きながら。
落とした単位を取得するために。

学校への長い坂道を歩く。
事務室で手続きを済ませ。

何をいつ受講すればいいのかを聞く。
初の受講日が来た。
教室を必死で捜すのだが見つからない。
空ける部屋、空ける部屋、知らない人と
先生ばかり。

なんだかイヤになって、受講をあきらめる。
そして結局、一年間一度も受講しなかった。
それでももう学校からは通知が
こなくなった。

「ああもう勉強しなくていいんだ。」

物凄く大きな安心感が体中を包む。

幾度も見た夢のお話。(笑)

天音天画 20200503

EPSON MFP image
EPSON MFP image

歴程:通ってきた道すじ

歴運:めぎりあわせ 運命 天運

龍骨:船体の最低部の注意sンにあり 船首と船尾をつなぐ背骨の
   様に重要な材

はなの いのち きのいのち にほんの てんめひ

げんしゅの いのち おおきみの おやく すいこふ
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随想 伊路波村から16~お年寄り

おばあちゃんからお手紙をもらった。
おじいちゃんが、長生きした生存お見舞金として、
保険会社からいただいたお金を、
家族6人に平等にわけてくださった。

その中におじいちゃんの言葉をおばあちゃんが代筆した
手紙が入っていた。

86歳になったおじいちゃんはすこしボケている。
だけども、もともと若い時からボケてるので、
そんなにもボケてるなんて感じない。(笑)

むしろおもしろいので、子供たちのウケがいい。

「・・・・・・・・・・、一人では何もできない私ですが、
米寿の年の祝まで、元気でいたいと思っています。
一寸ボケが始まって来ていますが、迷惑をかけない様
頑張りますので見守ってください。・・・・・・。」

お年寄りは何より家族に迷惑をかけることを
心苦しく思うのだろうか。

そして続く、「何よりも体を丈夫にして、
世話をかけない様気を付けますから、
今後ともよろしくお願いします。」

おじいちゃんとおばあちゃんがただ
生きているだけで嬉しいのに。

自分も行く道・・・・・・・。

随想 伊路波村から17~意識の波

意識の波はエネルギーだから、
他のものや人に物凄い影響を与える。

怒りまくる人のそばには
誰も寄り付かないし、
そわそわと忙しい人のそばも同様。

悲しみが深かったり、不安が強かったり、
なんでもしっかり完璧にしなくてはと
思ったりすると、これまたエネルギーが強い。

安心のエネルギーはなにかというと、
何にも思っていないことで、目の前に
起きることをそのまま処理することだ。

それもただ感謝でできたら、方向がない。
そんなにできたら99%の人生。
あと1%はあちらへ行ってから。(笑)

南無とはありがとう、こんにちはの「ナマステ」の
ようなことばで、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏さんへの
挨拶と友人の僧が言う。

よくできても99%だけれど、そこまでいたる人はまれ。

だから少しでもできるように、また生き方を
忘れないようにと「南無阿弥陀仏」だよと
親鸞さんは説いた。

その僧侶の友人から届いた、彼の随筆が数枚ある。
今朝、目を通させていただいた。

何故かこの場所で、はるかな居多ケ浜が思われる。

「親鸞聖人の流罪地を訪ねて」

平成18年11月26日(日)夜10時、私と妻は、
自家用ワゴン車で出発した。
聖人の京都から越後(新潟県)への足跡に少しでも触れる思いで、
北陸自動車道を走行した。

途中、車内で寝袋に入って寝、27日(月)午後1時に上越市
(旧、高田市・直江津市)
に入った。

「聖人は、北陸道親不知を歩いて越えられ、糸魚川の東の
小野浦(現、木浦)から乗船し、3月28日に郷津の東の赤岩に着岸し、
居多ケ浜より上陸された。」という。

 上陸地の「居多ケ浜記念堂」、最初の立ち寄り先の「居多神社」、
初めての庵である竹の内草庵があった「国分寺」、次の庵である
竹の前(たけがはな)草庵があった「本願寺派国府別院」、
土地の弟子が開基である「光源寺」を視察し、親不知にて
宿泊し、翌29日は厳冬間近の「親不知、子不知」の海岸を体感し、
聖人の関東への足跡を思い、長野自動車道を走行して、
夜8時に帰名した。

50程のトンネルを抜ける行程であった。
・・・・・・・後略・・・・・・・・
親鸞聖人の流罪から800年、
上越は幾度もの地震にゆれている。

「南無阿弥陀仏」

居多ケ浜を歩む親鸞聖人の後姿が見えてくる。

随想 伊路波村から18~ありがとう

突然の訃報に 驚いてから
もう一ヶ月が過ぎて
あなた様を偲ぶ集いが開かれました。

その日は 朝から あなた様の喜びや
感謝の思いが こちらのこころに
届くのか こちらの目を借りて
ウルウル涙ぐんでいました。

決して 悲しくはない涙です。
只今の一度だけではないことを
誰よりも知る あなた様や あなた様の友人知人たちの
集まりは あの政木先生の集いとかわらぬ
やさしさに溢れていました。

残されたご家族は きっとあなた様と会ったのだから
力強く生き抜いていかれることと思います。

どうぞ 安らかに・・・ありがとう。