霊性の旅 15 最後の最後のあんでるせん 「転写は可能か」

この30年間で20回に達した長崎あんでるせんさんへの旅。

いよいよ一度も当たらなかった体験をすることに。

6人が座れるカウンター。
そのセンターの三番の方は一日でとても
大忙しのお役が待っています。

マスター久村さんのアシスタントのお役です。
主には数々に繰り広げられるマジックショーの
お相手のお客様に振り当てられた番号カードをひいていくお役です。

1時半から始まっていよいよ終盤のハイライトへと向かう
午後4時ごろにそのことがおきます。

「7番の方!」

「はい!」

何か大変なことと直感します。
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霊性の旅  「魂は永遠に」

令和5年の12月22日に会社にHさんが
訪問されました。

その時ラインに写真を送りますからと、数枚の写真を
送ってくださいました。

その写真は11月の冠之会の懇親会の終了後
家内と共に皆さんのためにとお貸しした二本の傘を
互いに持ちながら歩く二人の後ろ姿。

なんだか異次元からの写真のように感じます。

大写し
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霊性の旅 「サヨナラだけが人生だ」 別れの時

令和5年12月23日に一枚の喪中はがきが届きました。

古い友人のIさんの他界のお知らせ。

もう30年交友が途絶えていました。

「Iさん亡くなったんだ・・・」
漠然とそう思いました。
30年前自己創造のセミナーにお誘いしました。
一旦快諾。
翌日奥様からお断りの電話。
きっとIさん自身から断りにくかったんだと思いました。

それから30年がたっています。
とても仲が良くて、二人は黙っていても幸せな時間が
流れる仲でした。

29歳の時、第三創業で会社を立ち上げました。
名古屋の中川区がその第三創業の地。
Iさんは同じ中川区で同じ事業を営むM商店の番頭さん。
自分は
たった4年間しか板金業種の経験がなく、まして
経営はド素人です。

Iさんはそんな自分に
「なんでも言ってね!、どんなことでも協力するから」と
おっしゃってくださいました。
それからおよそ15年間のお付き合いが始まりました。

一年に幾度も彼の好きだった、そしてとてもお上手だった
ゴルフに行ったり、四人の仲間もできて毎年夏、駒ヶ根カントリーに行き、
四人でプレーします。いつもビリは自分でしたが
とにかく面白くて楽しい思い出ばかりです。

さらに三か月に一度くらい、四人で会食です。
とくに大須にある居酒屋さんで渡り蟹の旬を
いただくことが年中の楽しみとなりました。

Iさんは事情があって勤めていたM商店を退職され、
別の職業へと。
それでも時々会社に立ち寄ってくださって、交友は
続きます。

30年前のセミナーへの誘いが二人を分かちました。

自分はそのセミナーがきっかけでまったく層の異なる
人生の道を歩き始めていました。

父、そして長女の他界の直後、
Iさんは突然に会いに来てくださいました。
「不義理ばっかりで・・」とおっしゃいました。
自分は冷たくも
「ほんとにそうだよ・・・」と
短い会話。
仲が良かった二人でしたが、道が異なって22年がたっていました。

それがIさんとの最後のお別れでした。

何の感慨もなく会社で喪中はがきを読んだんですが、
夕方家に一人で戻りますと、急に悲しみが
襲ってきました。

「Iさんごめんね。死んじゃったんだ・・・」と
恥ずかしながら涙にむせびました。
人生でとても仲良く過ごさせていただいたこと、
そして大恩人となってくださったことを心で
感謝しました。

訃報が翌23日にも続きます。
広島のグループライン仲間のMさんからです。

「中村 公隆 名誉住職さんが14日に亡くなられました」
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 13 終章 エピローグ 鈴木大拙 「霊性的世界」

終わりにあたり友人から勧められた
鈴木大拙 「仏教の極意」の出だしの
文章のご紹介です。

昭和21年に鈴木大拙さんが昭和天皇に
講義された内容からです。

第一講 大 智

 仏教のお話をする前に、宗教一般についてちょっと申し上げたいと思います。それは宗教が誤解されがちだからです。
仏教も一つの宗教であります。それでまた外の諸宗教のように、生活そのものと何ら直接の交渉を持っていないと考えられることが往々あります。ひどいのになると、宗教はただの迷信でしかない、極楽があろうが、地獄があろうが、そのようなことには、自分等は全く無関心だというのです。まだまだひどいのになりますとこういいます。
ー宗教は群衆を酔わす阿片だ、資本家や官僚はそれを使って群衆を自分等の意志のままに盲動せしめているのであると。少なくとも、宗教排斥者は、神を利己的祈りの対象に過ぎないと見ているのです。
 仏教が宗教としてこれ以上に出ないものとすれば、仏教が吾等日日の生活の上に及ぼす働き、また及ぼさなければならぬ働きというものに対して、これらの人人は何ひとつ了解しているところがないといわねばなりません。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 12 エピローグ 「12因縁」

1,無明  即ち、無知盲目の為に、真理を真理と見ず、煩悩を起こし、それに縁って、

2,行   即ち、真理に背き、道理に反する行いを生ずる、この無明より起る根本の盲目的活動を余儀なくされる。これに縁って、

3,識   即ち、無明と行に縁って、まず母体に宿る我々に、精神的作用、主観が起る。これに縁って、

4,名色  即ち、心的現象、物的現象の霊肉が、母体で備わること、精神的作用、これに縁って、

5,六処(六入) 
      即ち、眼耳鼻舌身意の、六根が母体内で完全に出来、出胎(生まれ出る)までをいう。それに縁って、

6,蝕   即ち、六根に対する、色声香蝕法の六塵を知り、それに縁って、

7,受   即ち、やや長じて、六根の六塵に対する嗜好を感じ始める。それに縁って、

8,愛   即ち、好きなものを求め、嫌いなものを避けようとする欲望。それに縁って、

9、取   即ち、愛欲の念が次第に烈しくなり、嫌いなものを徹底して排斥し、愛するものを求め、執着することである。それに縁って、

10、有  即ち、愛・取の時代になす行為が、未来の因となり、次生に行く所の定まることである、それに縁って、

11、生  即ち、過去の因により、賢愚美醜、幸不幸まですべて定まり、種々の結果が生まれてくること。それに縁って、

12,老死 生があれば、必ず老い衰えて死んでいく。
      この世に生存することによって伴う一切の憂悲苦悩・有為転変に縁り、生死流転の輪廻を繰り返し、解脱することを得ない。
      即ち、抜け出ることができないでいる。
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 11 エピローグ 旅の終わりに

いよいよ第10節です。
「十二因縁」のお話です。

日本は仏教国ですから、仏教からの教えが身に沁みますね。
それで、何故私たちは生まれ、そして何ゆえに大変な
「生老病死」を体験するのかを説く「十二因縁」を
ご紹介させていただいて、この旅の心の終わりとさせていただきます。

ただこの因縁説はやはりまだ嘘のようなこの世界で
起きる出来事の克服法としか映らないかもしれません。
佛があるとの基準ですから、ただの一面かも。

もし古代イスラエル的また縄文的意識でこの国が
満たされれば、きっと世界の見本となって世界再生の
先導役になることが出来るのでしょう。
世の光ですね。

この人生の心の旅を通じて感じたさまざまから、
一人でもやるんだという強い意志が生まれました。
どんなことがあっても成し遂げる。

ご縁の皆さんと共に静かに歩んでいくことが出来ますように
祈ります。

現実は影。

意識は永遠で無限。

ここへ来ていただいて、言葉を追ってくださったご縁ある
多くの皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

「十二因縁」

人間とは浅ましいもので、現象に執われ易く、
「何事も目に見なければ、信じようとしない」

孔子曰く、

「人、遠き慮り無きときは、必ず近き憂い有り」
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 10 エピローグ 十戒と十二因縁 

長いエピローグとなりました。

私たちが生かされる指針としては古代イスラエルでは
モーセがシナイ山で賜ったヤハゥエの十戒と
日本ではなじみの十二因縁があります。

十戒は読めばできていない事ばかりでなんだか
恥ずかしい感じですが、少しでも守りたいものと
思います。

仏教では因縁が今の人生になっていると説きます。
ですからその因縁から起きる事柄や意識の変化こそ
自分がさらに登る大切なことともいっています。
ただやはり目の前の嘘っぽい現象からのお話に過ぎませんが。

まずは十戒です。

ペディアから
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霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 9 エピローグ 自分とは何か

空海のレイラインを訪ねてと題した旅が
終わりました。

何かが終わった感が迫ります。

そしてまた何かが新たに始まる予感です。

自分とは何か、あなたとは何かと問われましたら、
自分はずべて、そしてあなたもすべてとお答えいたします。

それぞれが意識があって、その意識が創造する世界が
目の前に広がります。しかしそれはまるで嘘のような世界です。
人の意識がとらえるこの嘘のような世界とはまったく相いれない
絶対的な一点から常時吹き上がる無限とも言ってよい膨大なエネルギーが
あなたの正体でしょうか。

言葉は空しいものですが、そして言葉が出ると
それはまた嘘のようなことですが、あえて言葉なら

吹き上がる無限の「絶対感謝」

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