令和5年12月23日に一枚の喪中はがきが届きました。
古い友人のIさんの他界のお知らせ。
もう30年交友が途絶えていました。
「Iさん亡くなったんだ・・・」
漠然とそう思いました。
30年前自己創造のセミナーにお誘いしました。
一旦快諾。
翌日奥様からお断りの電話。
きっとIさん自身から断りにくかったんだと思いました。
それから30年がたっています。
とても仲が良くて、二人は黙っていても幸せな時間が
流れる仲でした。
29歳の時、第三創業で会社を立ち上げました。
名古屋の中川区がその第三創業の地。
Iさんは同じ中川区で同じ事業を営むM商店の番頭さん。
自分は
たった4年間しか板金業種の経験がなく、まして
経営はド素人です。
Iさんはそんな自分に
「なんでも言ってね!、どんなことでも協力するから」と
おっしゃってくださいました。
それからおよそ15年間のお付き合いが始まりました。
一年に幾度も彼の好きだった、そしてとてもお上手だった
ゴルフに行ったり、四人の仲間もできて毎年夏、駒ヶ根カントリーに行き、
四人でプレーします。いつもビリは自分でしたが
とにかく面白くて楽しい思い出ばかりです。
さらに三か月に一度くらい、四人で会食です。
とくに大須にある居酒屋さんで渡り蟹の旬を
いただくことが年中の楽しみとなりました。
Iさんは事情があって勤めていたM商店を退職され、
別の職業へと。
それでも時々会社に立ち寄ってくださって、交友は
続きます。
30年前のセミナーへの誘いが二人を分かちました。
自分はそのセミナーがきっかけでまったく層の異なる
人生の道を歩き始めていました。
父、そして長女の他界の直後、
Iさんは突然に会いに来てくださいました。
「不義理ばっかりで・・」とおっしゃいました。
自分は冷たくも
「ほんとにそうだよ・・・」と
短い会話。
仲が良かった二人でしたが、道が異なって22年がたっていました。
それがIさんとの最後のお別れでした。
何の感慨もなく会社で喪中はがきを読んだんですが、
夕方家に一人で戻りますと、急に悲しみが
襲ってきました。
「Iさんごめんね。死んじゃったんだ・・・」と
恥ずかしながら涙にむせびました。
人生でとても仲良く過ごさせていただいたこと、
そして大恩人となってくださったことを心で
感謝しました。
訃報が翌23日にも続きます。
広島のグループライン仲間のMさんからです。
「中村 公隆 名誉住職さんが14日に亡くなられました」
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