随想 伊路波村から28~病むということ

人間が病むということは
何かが欠けているということと聞いた。

身体の場合には 口にする食べ物とか
食べ方とか 量とかが関係するのだろうか。

そして 気というものもある。
感情を荒立てると それだけで細胞が死ぬというし
病む細胞も 生まれるのだろう。
“随想 伊路波村から28~病むということ” の続きを読む

随想 伊路波村から29~壮大ないのちのドラマ

世の中の毎日の変化が 映画に行く必要もないほどの
感動や ふるえや 楽しみを与えてくれる。

お金の世界や 食べ物の薬物のこと 物の生産や
医療のこと。 教育のことや政治行政のこと。

事業者の集約化や 事業の売却のこと。
宇宙のお話や 陰謀や 科学技術の革新。
戦争 宗教 対立。

そしてなにより いのちのかがやき。
“随想 伊路波村から29~壮大ないのちのドラマ” の続きを読む

随想 伊路波村から31~循環

今日も家の前の道路と歩道の境に 小さなミミズの死骸が
たくさん見受けられました。

都会のほんのわずかな植え込みの土に発生するミミズです。

一匹のミミズの死骸にたくさんの細かなアリがたむろしていました。

なんだかちりとりに掃きこんでしまうのも悲しく思いまして
死骸とアリをそのままにしておきました。
“随想 伊路波村から31~循環” の続きを読む

随想 伊路波村から32~すこしでも光れば

午前2時 眠っていたのに 突然
「わかった」と言って 起きてしまった。
トイレに行ったあと泣いて
また 洗面所で泣いていた。

方法や 現象の理由の解明に
あけくれていた人生だった。

地球は ふるえている ずっと。

人間以外の自然は 何も貯めず
死さえ含めて 何も不安でなく ただあったのに。

ここを 次へのために ちゃんとした場に
したいことさえ やっぱり欲望かもしれないけれど
できればと願う。

なつかしい ふるさとだから。
よくわかっているはずの言葉たちが
飛んできた 「愛」 「積極」 「感謝」・・・・・。

一人でもいいから 少しでもいいから光るんだ。
いつでも すこしでも。

なんて小さな考えだったんだろう。

悲しいくらいだ。
動くんだ・・・。

これから 小さな自分だけでも。

随想 伊路波村から33~イルカのショー

イタリア村がなくなって 少し寂しい感じの名古屋港。
その名古屋港には水族館がある。

中日新聞に「マイルカのあかちゃんを見学する集い」が日に2回
あるというので娘と一緒に行った。

水族館があくと 子どもやカップルが次々に入館。
入り口には大きなイルカの水槽が3つ4つある。
“随想 伊路波村から33~イルカのショー” の続きを読む