神の使者から奇跡の道へ その4~インスピレーションは・・・

「インスピレーションは神の愛のこだま」

意識してなそうとしたこと(自我)はかなわず、
湧き出るようなこころすなわち、インスピレーションからは
動かされるかのように現実化していきます。

また重大な決断を迫られている時は、
自然に決断出来てこのことはインスピレーションに
似ていますね。

想念からの意識は自我意識からの欲望の
目的ですから、もし実現化してもはかないもの。

インスピレーションは生命である神の愛の
こだまですから、救済へと導くものなのでしょう。
癒しです。

目前のものは、外部に現れている自分自身の
狂気(自我)の象徴なので、その目前から受ける
想念での行動は重いものとなります。

湧きあがるかのような、真のこころのおくからの
叫びに忠実に生かされたいものです。

「インスピレーションは神の愛のこだま」

神の使者から奇跡の道へ その3~真の祈りの秘訣とは・・

真の祈りの秘訣とは、必要だと思っていることを
忘れること」

完全な無意識は不可能なので、いつもいつも
何かを必要だと思って心はそこをさまよっています。

それをやり過ごし、そのまま意識を保っていますと
突然に無意識が訪れます。
心を亡くす、忘れる。
そこが真の祈りの瞬間かも知れません。
「愛」にあふれる瞬間。

瞑想を通さずして達した者はないと聞きました。

もし瞑想を通さずして達することができるとしたら
その時は「全集中」の時かも。(笑)

究極的には誰もが必ず自分自身を認識する
のでしょうから、どんな方法でも祈りは大丈夫かも。

私たちの心は一つであるがゆえに全一。
だから私たちが生かされているのは
兄弟を変えることではなくて彼を
ただありのままに受け入れることかも知れません。

これがなかなかやっかいです。
自我が裁くからです。

裁けば裁かれることは真理です。

毎日毎日裁くことの多いこと。
だから毎日毎日たくさん裁かれています。

魚じゃないですよ。(笑)

「真の祈りの秘訣とは、必要だと思っていることを
忘れること」

神の使者から奇跡の道へ その2~意欲を感じるのは死を恐れているから

「意欲を感じるのは死を恐れているから」

逆にもし死を恐れていないのなら、あらゆる
意欲はないのでしょうか。?

やってみないとわかりませんが、この世で
まだいつもいつも無意識の人はいませんから
わかりませんね。

死は必ず誰にでも訪れるものとしての認識は
揺るがないものです。この世的には。
特に「自我」はそれを栄養源のように、しかも
絶対的な切り札のように求める。

もし「死」がなく「生」もないとしたら。
生まれてもいず、したがって死ぬこともないとしたら。
そしてそれが確信となったら。
おそらく意欲というものはないのでしょう。

肉体が真の自分でないと確信ができたら、
ケセラセラですね。
なるようになる。
従って病気になるはずがない。

分け隔てするものはない。
誰とも分離していない。
みんなが一つで全一、全我、元一つです。

ただ喜び、平安でそれを延長するのみです。
無限に。

「意欲を感じるのは死を恐れているから」

神の使者から奇跡の道へ その1~聖霊の最高のツールは・・

「聖霊の最高のツールは笑い。深刻に
受け止めると世界に取り込まれる」

「あなたの涙は全部貯めてあったのよ」

映画アメージングジャーニーのクライマックスで
神の一人子が語ることばです。

昨日楽しい友達のY子さんが来社されました。
お話の最後にアマゾンプライムで今、無料の
映画「アメージングジャーニー」を是非見てくださいと
おっしゃいました。

喫茶店での一時間半ほどの会話は
おそらく普通の方たちの会話ではないでしょう。

「見性」の体験者かも知れない彼女との
会話はおそらく頭がパンクするくらい長く
語り合っても続くことでしょう。

夜、さっそく映画を見ました。

イエスは有名過ぎて「汝の敵を愛せよ」どころか
自分を磔にして突き刺した人さえ、
「彼らは何をしているのかわからないのです」と
言ってもちろん赦しました。

自分のこの世的殺害者さえ赦す。
これほど偉大な赦しと、癒しと救済はないのでしょう。

ずっとこの一月ほど飯島さんのお言葉を
再録させていただきました。

ほぼ同じことを「神の使者」のトマスは語ります。
そして奇跡への道に導いた「奇跡講座」へといざないました。
そこで得られた真理をすこしずつこの「神の使者から奇跡の道へ」で
記載させていただきたく感じました。

第一回は
「聖霊の最高のツールは笑い。深刻に
受け止めると世界に取り込まれる」

例えば病気で重篤な方のそばで
「病気?なんてないんだよ。
大丈夫 大丈夫!」なんて笑ったら
ぶっとばされそう。
でも病気ならそんな元気ないか。(笑)

病気の相手に取り込まれることはいりません。
ただ寄り添う、そしてやさしく微笑む。
それだけ。
深刻になって病気を共に悲しむなんて
自我が描き出す幻想世界に取り込まれて
自分も引き込まれそうです。

キリスト教の信徒でもなく、仏教徒でもなく
ただ真理の中道を歩きたい自分は、数々のことばから
そして体験からそのことを、その方法を探っています。

父と子と聖霊。
キリスト教の三位一体です。
父の一人子であるイエス(あなた)と常にあなたと共にあって
癒しと救済へと導く聖霊にとって、「笑い」が最高のツールなのです。

深刻なものは一つもなく、ただ笑うしかない
幻想世界が目前に展開されます。
これもこれもあれもあれも
これですし、あれです。(笑)

何が起きてもです。

あなたの癒しと救済のために起きているからです。

すべて受容して、赦すしかない。

「聖霊の最高のツールは笑い。深刻に
受け止めると世界に取り込まれる」

Iさん懐古 その1~相手の意識圧を上げることこそ仕事

この9月から言葉を残して意識の延長を!
という内側からの言葉に突き動かされて
毎日毎日湧き上がるままに書き留めさせていただく
作業が続いています。

全部が自分で、自分は実は宇宙だとしたら、
どこからの言葉も意識もそれは
宇宙から、全体からとなります。
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Iさん懐古 その2~子供は女性が産まない

先日そのことをある女性に告げましたら「?」で
ポカンとしてました。

そうです子供を宿し、大変な思いでこの世に
生み出したのは「私!!」と叫ばれそうですね。

でももしそうだとしたらこの「宇宙」は永続しないのでしょう。

変化する物質が物質によって生み出されたのなら
変化しない「空」が物質の原因ではなくなり
変化するものの「物質」がすべてとなりますので、
「原因」がなくなり「宇宙」は永続しません。

聖書ではイブは「誕生」の苦しみを
アダムは「労働」の苦しみを与えられました。
楽園からの追放です。

「楽園」ではあなたと私がない世界でした。
あなたと私が分離したことから、この幻想の
世界が始まりました。

古事記では天之御中主神(あめのみなかぬし)の出現が
最初でもちろん分離のない一人神。
その後高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)が現れ
宇宙を創成していきます。
造化三神と呼ばれます。
分離しそこから幻想の世界へ同じように入っていきます。

古事記と聖書はよく似ています。

もし子供が聖書での「父の子」でなく、女性が生んだ母の子で
あったのなら、幻想を実相(真実)ととらえたことになり
相変わらず自我の虜になったままです。

生命は無限にして永遠であり、形がなく一つなので
その原因こそが子供なのでしょう。
すなわち形がない生命が私たちの本質です。

その本質を母が産むことはないようです。

一つの生命を生かされる私たち。

それを身に染みて感じる「啓示」は、幻想のこの世には
存在しない純粋な喜びの体験でしょうか。

生命である霊は「所有すること」と「在ること」の
相違を知りません。
生命にとっては得るということは無意味であり、
与えることがすべて。

「子供は女性が産まない」

Iさん懐古 その3~魂といのちは異なる

そのあとでこのような解説でした。

全我ー生命体ー完全なフリーエネルギー

個我ー魂

霊魂魄(れいこんぱく)とよく言われます。
三つ。

霊はエネルギー。生命体。
魂は心みたいなもの。
魄は肉体。

魂魄といったらもう個我の世界観です。
幻想世界です。

全我ー生命体ーフリーエネルギーが霊の世界で
実相世界です。

だから個我は自我の世界です。
これを手放せず、自我がすべてと信じることが
ほとんどです。
実相の世界観などあるはずがないと
自我が思わせるできごとのオンパレードが
幻想世界ですから。

もちろん時間は自我の概念でしょうか。
そして自我はほんとうは死ぬことはなく
一度も生きれなかっただけでしょうか。
自我の大好きな恐れ、それは未来という時間にあります。

「赦し」は自我と実相の中に立って自我が
なかったことにします。
「赦し」の連続が「自我」のもっとも恐れるものとなります。

魂といのちは異なる。

「あなたがもし兄弟の誰かを見捨てるなら
あなた自身と神を見捨てることになる」

Iさん懐古 その4~生まれつき全員が病気

生まれたとたんに病気だなんて。

病気だから生まれたとも言えますね。
病んだ「意識」を正気に戻すことが、人生かも知れません。

ところが2歳くらいまでは結構無垢で
「無垢なるものが理解していることは真理である」

となるとこの2歳くらいから病気になっていくのでしょうか。
そして自我という厄介なものがくっついて、
病気と正気のバトルかも。

そして「部分的に無垢なるものは、時として愚かになりやすい」
ようですので少し無垢であることもやっかいです。

「一生健康な人は、一生意識の変化がなかった人」
生まれつき全員が病気、の後のIさんの言葉は、
すべての病は心の病だと言っているようなものです。

もし一生病気がなかったら意識が少しも変化しなかったということ。

病気は気づきの大切なギフトでしょうか。

「休息は眠ることからではなく
目覚めることからもたらされる」

Iさん懐古 その5~イエスは死のないことを知っていた

今年2月一週間の入院を体験しました。

まだコロナが本格化する前です。
丁度2月の末です。
退院後にお医者様に指定された健診の
外来の日のお約束を「コロナ」を理由に
解消しました。(笑)

「コロナ」は味方になってくれました。
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