この道へ 2~ きっかけ

そのことがあった日より以前にも、時々はそれまでの生き方を
振り返るようにはなっていた。

その日は44歳のある日だったが、年齢から来る人生への
感慨もあったのかもしれない。

39歳となったその5年前には、自宅を壊し8階だてのテナントビルも
建築した後だった。
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この道へ 3  「自己啓発セミナー」

この道へ その3  「自己啓発セミナー」
衝撃の一言を聞いてから何をしたくなったのかというと、
それは人間ってなんだ、自分ってなんだの問いの
答えを得ること。

それには自己啓発セミナーが一番だと、
いろんなセミナーを聞いたり調べたりした。
そして二つに絞った。
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この道へ 4 「高度情報科学セミナー」

大阪の駅から徒歩15分くらいにあるビルに
全国から毎週土日に多くの人々が集ってきていた。
「マルチメディアインフォメーションセミナー」と題うった
セミナーを受講。

それまでの自分の育った環境やめざした実業家としての
考え方に大きな影響を与える内容のセミナーだった。
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この道へ 5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。
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この道へ 6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。

ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。
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この道へ 7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。

魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。
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この道へ 8 最終項 ~戻れない現実

 人々がブログを通じて個性の光を耀かせていく時代に
入った。

多くの方が発信を続けている。
さまざまな個性がさまざまに絡み合う。
仮想社会で知り合い、現実でも出会う機会が増える。
望めば。

ネットワークと個性の光の組み合わせがこれから何かを
生み出していくのかも知れない。
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