森信三先生の言葉 13~なにゆえ師は、人生における光・・

 なにゆえ師は、人生における光であり力なのでしょうか。思うに師とは、真理が一人の生きた人格を通して具現せられた存在だからであります。ですから、もし人間がただ単に書物だけを読んで、生きた一人の師に就くことをしなかったならば、その人が如何に「道」といい「真理」といいましても、畢竟(ひっきょう)じてそれは未だ机上の論を離れない処があって、真に身を以て体験した道の真趣には至り得ないといえましょう。
 ですから古来卓れた人々で、師を持たなかったという人はなく、また師を尊敬しなかった人はないのであります。それというのも師を尊敬するということは、結局は「道」を尊敬するということであり、否、「道」そのものを最も深く、その具体現実の相において把握することだからであります。

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 真の学問とは、自分の気質根性を改める力のあるものでなくてはなりません。そこまで行かないものは皆ニセの学門です。ところが、自分の気質を改めるということは、実に至難中の難事であって、生涯をかけての大事業です。お互い人間というものは、死ぬまでにはスーッと透き通るように、キレイになって死にたいものです。屍体の方は後に残った人が浄めてくれますが、心の方は自分で浄めて死なねばなりません。

再録 奇跡の道 その107~癒されるためには患者が自分の心を・・

「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」

患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。

「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」

彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
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再録 奇跡の道 その108~判断はどのようにして放棄されるのか

「判断はどのようにして放棄されるのか」

判断というものも、世界によって全面的に誤解されている。
それは実際に叡智と混同され、真理の代替とされている。

この言葉の用い方によれば、ひとりの個人が「良い」判断と
「悪い」判断をすることができ、彼の教育は前者を強化し、
後者を最小限にすることを目指している。
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森信三先生の言葉 14~不幸というものは一面からは・・

 不幸というものは一面からは確かに損失といってよいわけですが、しかも天は至公至平でありまして、こちらで損失を起こしたら、他の方面で必ずその償いをしてくれるものであります。しかしながらこの点は、これを信ずる者にのみわかる事柄でありまして、その為に信じられない者は、たとえ償われていても、その償われていることがわからないのであります。

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2558「死はすぐそこに」2021.12.26 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/255820211226.html

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月20日の記事を紹介します。

「死はすぐそこに」

ここ数年、地球の波動が上がっているためか、

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方

が急激に増えているようです。
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