「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」
結局、自分の心が望んでいる状態が今。?
え~~??!!
こんないやなことも。?
なのですが、そのいやなこと、いやな出会いも
実は自分のすがた映してくれる貴重な贈り物
なんでしょうか。?
ところが逆に自分が見ている世界から何らかの
満足を得られるという希望を、依然として
抱き続けているのなら、大変に奇妙なことでもあります。
何故なら、知覚の基本的な法則は、
「人は自分が見るものを喜ぶ。
人は喜ぶために見るからである。」
見るものに対して、苦しみと罪が喜びをもたらして
くれるとあなたが信じている間は、
あなたが見るべくそこに存在し続けるようです。
「あなたが神のための手段である。
あなたは神から分離してはおらず、
神の生命と別の生命をもっているのでもない。」
神我顕現の道が人生。?
「知覚とは、自分自身がなりたいものや、
住みたい世界や、自分の心が充足し満足すると
思える状態についての選択」