響き

心に響く言葉、とか感動で心が震えるとか、何かが語るように響いてきたとかいいますね。聞こえてくるのではなく、内側から溢れるような響きは、そして溢れてくる震えるような思いはどこから来るのでしょうか。

感動しなさい、代金払うからと言われても、どこかの国の「泣き屋」さんとか、映画や舞台の俳優さんならできることかもしれませんが、普通の人にはできないことです。そばの誰かが凄く感動して泣いているのに、しらけたように、自分は何も感じないことがあったり、またその逆もあったり共に共鳴するように感動したりすることもあります。

その違いはどこから来るのでしょうか。

現世に生まれ出させていただいて、いろんな体験をし、感動するポイントがそれぞれの人によって異なる。そういうことってあると感じさせます。でも同じ境遇に育ったような双子さえも異なるようです。

それは何故。?

もし何度か人間を体験していたとしたら、それは可能ですね。

「傷」を意味するギリシャ語のトラウマは、意識の記憶です。今生では体験したことのないことなのに、いつかの生のトラウマからの響きなら納得できます。それならば「響き」という字は納得できます。

故郷からの音。
なつかしい故郷からの音。
みんなそこからここに来ました。
そして今もそこにもいます。

そのなつかしい故郷の思い出が、心を響かせるのでしょうか。

どれだけ赦せばいいのでしょうか。
きっと完成はないのでしょう。
完成があったらここには来させてもらえない。

今ある赦せないことを赦しなさいと、故郷から響いています。そしてまず自分を、思ってしまう自分を赦しなさいと響いてきます。自分の出した意識が全体に届いてしまうから、まず出した意識のいたらなさに恥じ入るばかりの毎日です。

気の発生

友人から久しぶりにメールがありました。その中で「坂本敏夫さんの最近の本よかったです。」と書きとめてありました。そう聞きますと、言った友人がなかなかの人ですので俄然興味が湧きました。キンドルで読みました。

「典獄と934人のメロス」

典獄とは刑務所所長の大正時代の呼び名です。罪を起こしてしまった罪人や、冤罪で刑務所にいる者や典獄以下刑務所に働く人たちやその家族の物語的実録です。

大正12年9月1日午前11時58分32秒に横浜沖を震源とした大地震は10万5千人の死者と大きな火災を、主に神奈川、東京にもたらしました。横浜刑務所は塀が全壊します。そんな状況下で典獄がとった処置、および発した言葉、そして行動が周りのすべての人々の心に迫ります。若い帝大出身の典獄の日常の心が全員に染み渡るのです。10分間に一度はグッとくる内容でした。珍しい本です。

罪を起こした人ほど、まったくその逆の目覚めがあることがよくわかります。この世に良いも悪いもなく、ただ自らが悟るべき出来事が現象として次々に目の前に現れるだけでしょうか。一般の人たちが大震災時にとる行動と罪人たちとのそれとの対比はあまりにも好対照です。なんだか人間って美しくて善なるものとの嬉しい気持ちが湧き上がります。

もうひとつ北陸つながりの友人が名古屋を訪ねてくださり、御二人のうちのお一人がしきりに「あの映画よかったわ~~~」とおっしゃった映画を、翌日金沢へ戻られるお一人と共にその戻られる日の午前に見させていただきました。

それは「人生の約束」です。

物語は富山県の新湊での曳山を中心とした物語です。新湊は22歳の頃に近くの小杉というところで、高速道路の工事をした時に、ちょうど新しい港が開港したばかりでした。ですからとてもなつかしくて、また、つるべさんの番組で映画の宣伝を兼ねてか、写っていましたので何か縁を感じました。

350年続く曳山。
ちょうどこちらの町にも唐子車という山車があります。呼び方が異なるだけで、曳山も山車も同じこと。350年という継続期間も同じでした。

祭りは女も男も老いたる人も子供も、みんながひとつの山車を引っ張って神様に感謝するイベントです。昔はみんなが山車を維持するのが大変だとか、山車を動かす若い衆がいなくて、専門の人たちにお金を払って曳いてもらうので、とても気を使うとかの話を家内がしていました。「そんなのやめてしまえばいいのに・・・・・・。」と言っていたのに、今やその山車を維持管理していく立場になっていました。

そんなときにこの映画です。
どんなときも泣かない男(主人公)が泣きます。主人公は大企業の有名な若手経営者です。家族もなく、ただ企業を大きくすることだけにエネルギーを注いできた人間がある事件で挫折します。さまざまな展開があって最後には、泣かない男が人間の絆を心にしみて感じ、落涙します。上も下もなく力の限り山車を曳き、疲れきってエネルギーを出し切ったとき、創業時共に開業しながら、自らが辞めさせた、心を大切にした友人の気持ちが迫ります。そして落涙するのです。

伝統を守ることも大切ですが、絆を守ることのほうがもっと大切。絆こそが共に生きる人々にとって一番大切な精神でした。

本と映画、ふたつとも友達からの話題でした。そして出会いや情報が日常を越えた体験を下さって、また新たなるエネルギーを出す勇気となります。

縁は気の発生の最大のものでしょうか。

今、世界はさまざまに揺れているかのようです。

フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、心がキュンとなったのは何故でしょうか。アキノ大統領は陛下の心中を慮り、

「当事者でない陛下が、この戦後の70年間の重荷を背負って生きてこられたことに敬意を表する。」

と述べられました。

貧困が漫画になったり、真にそのような方たちがこの国で増加してきたり。子供をあやめる親が増加したり。公称3万人をこえて、、また不明者を加えれば戦争で亡くなったかたたちを上回るような累計自殺者の数。

仁徳天皇のように「民のかまどの煙」を見ることもない政治に携わる方たちや、御役人さんたちを知ります。世界では異常なる気候に翻弄される人々や、国を負われ他の国に逃れたら、そこで行き場のない待遇を強いられる人たち。同じ地球に同じ時期に共に生かされる人々が、あまりに異なる状態に生かされることに心が震えるのです。

みんな自分の心がなしたことでしょうか。

今日本に生まれ60年を超える時間を生かされ、一体何をなすべきなのか。この国の人々がどのような形で、どのような道を歩んでいけば、心から喜べる社会となっていくのだろうか。さまざまな難題を抱え苦しむ人々や、まだ自我も芽生えないままに肉体の終わりを迎えなければならない生命体や、戦争という名のもとで、殺人を余儀なくしている人たちや、お金だけが目的として食べるものさえ偽る人たちや、お金が安全に優先する企業風土や、先の希望を失い、体や心の不調から肉体生命を脱ぐ人たち。

全部自分の姿でした。
ただ祈るだけしかないのでしょうか。

イエスは天に祈りました。
自分をあやめる人たちのことを祈りました。

「主よ彼らを赦してください。彼らは自分達が何をしてるのか、わからないのです。」

何をしてるのかわからず、互いの人生をみんなが懸命に生きています。それでもイエスは赦せといいました。もしかしたら、自分がなしていたのかもわからない行為。人間はひとつの生命を生きています。すべてが自分なのです。

今世界は大きな変革の時を迎えているのでしょうか。小さな力でも、できるだけのことをしたいと小さな心が今、思いました。

縁って、お人とだけでなく、本や、もの、場所などたくさんの縁があります。すべては自分の人生を彩る、天からの霊(言)だと知るとき、人生がすばらしく明るく輝くのでしょうか。

あまり本というものが好きでなくて、というより余裕がなくて、たくさんを読みましたとはとてもいえない私です。ただ多感な(そんな時もありました)頃の10代後半から20代前半には、アルバイトなどで少し余裕が出たこともありまして、いろんな本を読みました。

中でもこのように生きたいものと強く思わせた、魂を揺さぶる本が、故 芹沢 光治良さんの「人間の運命」全7巻です。

芹沢さんの自伝的小説ですが、主人公の次郎は心優しく、怒らず、温厚にして積極的な人物です。若い頃の人生の指針としてむさぼるように読んだことを思い出します。一押し推薦の長編です。

著者の芹沢さんは自分の死期を認識できる方だったようですが、一度の死期を延長されてからは、その後も多くの著作を残されました。東京中野に御住まいだったのですが、不思議なことに今も御天画を通じて24年間の御付き合いをいただいています同じ中野のNご夫妻が芹沢さんのご葬儀に最前列で参列されたこともお聞きし不思議なご縁を感じさせていただきました。

長いときを超えて、今年の賀状の中の一枚が芹沢さんの声を届けてくれました。
マザー160106.jpg
差し出し人のIさんは、日本人としてのマザーの深い友人でした。インド心の旅を30年もの間主催され、多くの人々をインドへといざなわれました。マザーが亡くなった日はちょうどインドの心の旅を終えてコルコタ(カルカッタ)から日本へと戻る日でした。

しかし飛行機は飛ばずキャンセルとなったため、いそぎマザーハウスへと戻りました。そこにはちょうど棺に入ったマザーの遺体がありました。牧師様にお願いし写真撮影を赦されました。後にその画像はIさんの著書に掲載をも赦されました。

そのIさんに降りたメッセージ

「人間は他のいのちに仕えたとき、自分のいのちがもっとも輝く」

マザーの声が聞こえるかのようです。

平成28年のお正月

新しい年が素晴らしい輝きとともに明けました。

紅白、下の二階でそして朝明の岩魚の養魚場で唄ったエックスジャパンのとしさんが、圧倒的な歌唱力で変わらぬ魂を捧げました。中学3年の時、男装の麗人丸山明宏さんのテレビから聞こえるヨイトマケの歌が、歌というものに初めて涙した体験をくれました。何も変わらぬ明宏さんでした。

一人一人がさまざまな体験をしながら、さまざまな望みを持って生かせていただきます。役割を行かせていただいてます。変わらなくていいと感じます。

ありがとうございます。

平成27年の年の暮れ

8階のベランダから名古屋の南方面を見ています。産業界がお休みになるとこんなに空が綺麗なのかと、輝く空を見つめる午後三時過ぎです。

今年を振り返りますと、2月突然のように全国にピッコロ現象と言っていいような驚くべき現象がありました。Eさんが遊び心で作成したピッコロという小さな箱が毎日毎日ものすごい数で全国に旅立ちました。特殊なセラミックをただ単三の電池一個で電圧をかけただけの、しかも電池の消耗が自然消耗だけでほとんどないという仕組みでした。 “平成27年の年の暮れ” の続きを読む

突然に繋がってきたこと~その後

「突然に繋がってきたこと」の中の12年前の水の実験は反響が大きかったようです。

その中で、水道水の茶色い浮遊物は何でしょう?とよく聞かれます。それで会社にあります直流電源装置で再実験しました。36Vで0.03Aの電流が流れました。ステンレスの板を電極に使っています。

水1.jpg “突然に繋がってきたこと~その後” の続きを読む

すべては水

境があってもすべては水。特に生体とか水に溶けやすいものはわかりやすいです。その中でよく微生物による発酵促進を行って人間による糞尿(便とか尿とか紙など)をにおわない水に処理することは良く知られています。先回のテネモス通信VOL.26には「テネモス屋久島」の糞尿処理の実例のビデオがありました。

この画像に見られるように、便も尿も紙も形なくすべて水になります。そしてきつい匂いも消えてしまいます。

くさい匂いは酸欠の状態を表します。有機物(CO2などは除くCをふくむもの)と無機物(それ以外のもの)が混ざって、圧が加わると中性になろうとするエネルギーが働きます。有機物、ここでは便や尿や紙などに含まれるものは+で、無機物、主にお水などが-です。

+と-が出会うだけでギャップ(差)が生まれます。その差にエアードリームのような空気振動が加わって圧がかかりますと、中和に向かいます。その結果、すべては形なく水に帰します。

実際の処理による作用反作用の真理による結果を表します。入れているものは空気だけなのです。10年ほど前でしょうか、ある名古屋のラーメン屋さんの汚水の水の処理がされました。普通はオイルのフェンスを設けて、溜まる油を別に廃液として、週に2~3度、業者の方に引き取りにきてもらっていたようでした。廃液が溜まるマスにあるフェンスを割って、今回の屋久島の汚水処理と同様のマナエアー処理をしました。油が水になってしまいました。

伊良湖の「まるえい」さんでもこのことをお知りになってすぐに実践されB&Bの便尿を処理できました。溜まるスピードや量などによって、処理の圧を変化させる必要があってやった人だけが納得する、宇宙の真理です。