ずっと気になっていたことがありました。
「人の為と書いて、偽りと書く」
この言葉です。
逆に人間はどんな時にエネルギーが湧くか、また何のためなら喜んで我を忘れて行動できるかという問いでは「人の役に立つこと」が一番の答えだと感じさせます。「人の役に立つ人間になる」このことは大きな希望でもあります。
入江監督の「へそ道」という本の中に、人のためならばものすごい勇気が湧き行動に移せる逸話が掲載されていました。もうすでに多くの方がご存知かもしれませんが。アメリカでのお話です。
高層ビルディングで火事が起きました。高層階の部屋に母と幼い息子さんが取り残されました。ある消防士がその救出方法を考えました。隣のビルからその部屋にはしごを渡したのです。そして母子のいる部屋にはしごをつたってたどり着き、息子さんを抱いて隣のビルへ戻って救出できました。
その後にお母さんにはしごをつたって早く来るように促しました。しかしお母さんは恐怖と息子が救われた安堵でか、もう息子が救われただけで十分、私はこのままで大丈夫と死の覚悟を決めました。
するとその消防士は再び息子を抱いて家事の部屋にはしごをつたって戻り、息子を置いて、自分だけ隣のビルに戻りました。そしてお母さんに来るようにもう一度言ったのです。お母さんは今度は逆の覚悟を決めて、恐怖と戦いながら息子を抱いてはしごをわたりました。
このできごとのように、人のためならばやれる、勇気が出ることは真理に近いです。ましてや自分の息子ですから。
「人の為と書いて 偽りと書く」
この場合は、自分のなしたことに、なんらかの見返りを求めるならばと注釈が必要のようです。なんの見返りも求めない、無償の行動は美しいです。人間ならば誰でも困っている人を助けたい、なるべくやさしくしたい。誰かの役に立ちたいと思うのはごく自然なことですから。
この「へそ道」という本はたくさんのメモをしたくなる本です。奇跡の道では赦しを続けていれば驚くべき現実が展開されるとありますが、なかなか赦すということは難儀なことですね。なぜかというと「出したものが返る」法則のとおり結果として「赦せない現実」を見ている原因はほかならぬ自分の意識だからです。
その意識を突然に悟ったように「赦す」という方向に転換することは、それこそ奇跡に近いです。それでも勇気を持って、とにかく赦し続ければ現実は大きな変化を見せていくのですが、その第一歩が踏み出せないのです。
この「へそ道」ではその第一歩を「お詫びとお礼」に置いています。誰にお詫びとお礼をするのでしょうか。それが「へそ道」です。
「へ」は船の舳先。先端。すなわち自分という魂です。「そ」は連綿と何代にもわたってへそを通じてつながってきたいのちの元のもとのことのようです。
自分の魂に思ってしまったことを「お詫び」すると局面が変わってきます。お詫び続けていますと、ありがとうという「感謝」が湧き上がってくるようになります。
誰でもがその方にしかわからない数々の体験を自分の人生でします。そしてさまざまな思いを心に抱きます。他の人には言えないような悲しみや、怒り、苦労などや深い深いトラウマを抱えながら人は生かされています。そうした数々の思いが清らかにされていく秘訣が「へそ道」にはあるようです。
わかりやすい方法と感じさせていただきました。なかなか素敵な本でした。あとがきの「この地球で違う地球を見せられる」がこの本のすべてをものがたります。