全国で最も信仰心が篤いといわれる琉球諸島。その神がかり的な地域宗教の背景には古代、大陸より船で北上し、日本列島に渡来したユダヤ人の宗教文化が垣間見れます
再録 奇跡の道 その116~訂正はどのようにして行われるのか
「訂正はどのようにして行われるのか」
実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。
主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
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再録 奇跡の道 その117~正義とはなにか
「正義とは何か」
正義と言えば、邪の連想があります。
いつまでも二元の世界観ですね。
公平と言えば、方向がないですが、
方向がないのはすでに、いつでもいつのときも
その世界が、またその世界だけが遍満しています。
正義とは、不正義に対する神による訂正ですね。
「不正義が、世界の全ての裁きの根拠」
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森信三先生の言葉 24~同様に人生の深刻切実な経験も・・・
同様に人生の深刻切実な経験も、もしこれを読書によって、教えの光に照らして見ない限り、いかに貴重な人生経験といえども、ひとりその意味がないばかりか、時には自他ともに傷つく結果となりましょう。こういうしだいですから、読書はわれわれの生活中、最も重要なるものの一つであり、ある意味では、人間生活の内面的な釣合いの上からは、読書がその半ばを占むべきだとさえ言えましょう。すなわちわれわれの人間生活は、その半ばこれを読書に費やし、他の半分は、かくして知り得たところを実践して、それを現実の上に実現していくことだとも言えましょう。
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いかなる場合においても、大よそわが身に降りかかる事柄は、すべてこれを天の命として謹んでお受けをするということが、われわれにとっては最善の人生態度と思うわけです。ですからこの根本の一点に心の腰がすわらない間は、人間も真に確立したとは言えないと思うわです。したがってここにわれわれの修養の根本目標があると共に、また真の人間生活は、ここからして出発すると考えているのです。
IN DEEPから R3 12/16
日本とユダヤのハーモニー 「日本人の起源」 4
再録 奇跡の道 その118~癒しと贖罪はどのように関連しているか
「癒しと贖罪はどのように関連しているか」
癒しと贖罪は関連しているのではなく、同じものでしょうか。
この世界では可能な唯一の完全な概念です。
それが完全に統一された知覚の源でもあります。
天国の中の特別な区域としての地獄というものは
考えられません。「癒しと贖罪はどのように関連しているか」
赦すことは癒すこと。
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森信三先生の言葉 25~友情の最も深く感ぜられる・・・
友情の最も深く感ぜられるのは、何といっても道を同じくし、師を共にする同門の友との間柄でしょう。というのも、そのときそこで語り合う問題は、決して単なる世間話ではなくて、常に人生の問題であり、道の問題であるからであります。したがってまたそうした友人と会うことは、自分の生き方の上にも、常に新たなる刺激と力とを与えられるわけであります。
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そもそも友人関係というものは、師弟の関係を仮に縦の関係とすれば、まさに横の関係ともいうべきであって、師から受けるのとは、またおのずから違った面を教えられるものであります。たとえば師弟の関係から絶対的なものを教わるとすれば、友人関係からは、人生の相対的方面を教えられるとも言えましょう。
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哲学においても、真の絶対は、相対の面を含んで初めて真の絶対であるといわれるように、この真理は、師弟朋友というような、人生におけるもっとも具体的な関係の上にも当てはまるかと思うのです。すなわち師弟の道は、それが絶対の道として、大切なことは申すまでもありませんが、しかし単なる師弟の道だけで、その上さらに友人の道が正しく履み行えないというのでは、その人の人柄の上に、まだどこか至らないところのあることを示すものと言えましょう。
かように考えてきますと、友人関係というものは、ある意味では師弟関係以上に難しいとも言えましょう。すなわち真の友人関係には、ある意味で師弟関係の仕上げとも言うべき面があるからです。