人間は、現在自分の受けつつある不幸を、単に自分一人が嘗めさせられていると考えるか、それともこうした不幸によって、自分の甘え心を取り去るために神の深い計らいが働いていると気づくかにより、その人の一生にとって、実に大きな別れ目になると思うのであります。同時にまた人間は、現在自分の受けつつある不幸が、じつは神の深い御心だということが分かり出しますと、これまで自分ひとりが不幸に嘆き悲しんでいると考えていたのに、この広い世間には、自分と同様の悲しみを抱いている人や、さらにはより深い悲しみを持っている人の少なくないことが、次第に見えてくるのであります。
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人間の心の清らかさは、それが深まってきますと、ある意味では「報いを求めぬ心」ともなるようです。ところでこの「報いを求めぬ心」ということは、コトバで申せばただの一口ですみますが、なかなか至難なことであります。ではこの「報いを求めぬ」境涯に到るには、一体どうしたらよいかと申しますと、一つの方法は、全く人の知らない処で、なるべく多く善根を積む工夫をするということでしょう。