再録 奇跡の道 その114~どのように一日をすごすべきか

「どのように一日をすごすべきか」

目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。

その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。

確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。

「どのように一日をすごすべきか」

令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内

令和 4年 6月までの冠之会 慈藹塾読書会のご案内

年の瀬も迫ってまいりました。
今年も集いに多数のご参集を賜り、誠にありがとうございました。

さて、半年分の集いの日程ご案内です。

慈藹塾読書会はあと「修身教授録」の講が11回となりました。
丁度令和4年の12月読了となり、来年をもちまして、一旦休会の予定です。

また休会となっております「テネモスミーティング名古屋」ですが、
新たに4月ごろから「いろはミーティング」として開催させて
いただく予定となりました。
全国各地に広がりを見せる次世代に向けての
さまざまな活動グループとコラボレーションできればと
念願しています。

以上ご報告申し上げます。
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森信三先生の言葉 21~「世の中に両方良いことはない」・・

 「世の中に両方良いことはない」つまりすべては一長一短だということで、この点が真にわかったら宗教はいらぬともいえましょう。ところが大抵の人は何とかして両方とも良いようにしようともがくわけです。どちらか一方を思い切って断念するか、それとも両方基準を下げて調節するしかないと落ち着けないでしょう。

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 真にすぐれた師というものは、門弟たちを遇するのに、単なる門弟扱いをしないものです。すなわち卓れた師というものは、つねにその門弟の人々を、共に歩むものとして扱って、決して相手を見下ろすということをしないものであります。
 それは同じ道を数歩遅れてくる者という考えがその根底にあるからです。

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 そのそも人がその言葉を慎み、一つの行をもおろそかにしないということは、その根本においてその人が、この人生に対して志すところが高く、かつ深いところから発するのだと云えましょう。何故わたしたちは、一見些細とも見える自分の一言一行を慎まねばならぬのでしょうか。これ実に内に偉大なる志を蔵する故だといってよいでしょう。

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 わたくしのやり方はすべてマンダラ方式です。いわば具体的な多中心主義ともいえますかね。そしてその多中心が、またお互い繋がり合っているわけです。つまり単なる中心集中主義ではないのです。これが「開かれたるコンミューンへ」ともなるわけです。つまり具体的な動的多元論ですね。

2552「幸せな家庭のために」2021.12.20 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月15日の記事を紹介します。

「幸せな家庭のために」

今日は、非常にシンプルなことですが、習慣化することで偉大な力を発揮してくれる

言葉についてです。

当たり前のことですが、
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