終わりにあたり友人から勧められた
鈴木大拙 「仏教の極意」の出だしの
文章のご紹介です。
昭和21年に鈴木大拙さんが昭和天皇に
講義された内容からです。
第一講 大 智
仏教のお話をする前に、宗教一般についてちょっと申し上げたいと思います。それは宗教が誤解されがちだからです。
仏教も一つの宗教であります。それでまた外の諸宗教のように、生活そのものと何ら直接の交渉を持っていないと考えられることが往々あります。ひどいのになると、宗教はただの迷信でしかない、極楽があろうが、地獄があろうが、そのようなことには、自分等は全く無関心だというのです。まだまだひどいのになりますとこういいます。
ー宗教は群衆を酔わす阿片だ、資本家や官僚はそれを使って群衆を自分等の意志のままに盲動せしめているのであると。少なくとも、宗教排斥者は、神を利己的祈りの対象に過ぎないと見ているのです。
仏教が宗教としてこれ以上に出ないものとすれば、仏教が吾等日日の生活の上に及ぼす働き、また及ぼさなければならぬ働きというものに対して、これらの人人は何ひとつ了解しているところがないといわねばなりません。
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 13 終章 エピローグ 鈴木大拙 「霊性的世界」” の続きを読む