釈迦は語ります。
「無明を去れ!」
無明ってなんでしょうか。
知らないってことを知りなさいという意味でしょうか?
そして毒杯をうろたえもせずあおいだソクラテスは言います。
「無知の知」または「不知の知」
それもまた釈迦と同じように知らないってことに気付けというのでしょうか。
何を?
人として今生に出て、様々を体験し人としての喜び悲しみ
怒り不安感動幸せなどなどを感じます。
肉体がすべてと大抵は思います。
そして「幸せになりたい」と誰でもが思うことでしょう。
ですが人間が感じる幸せってなんなのでしょう。
おいしいものを食べ、何の不安もなく、住む家があり、
毎日が変化に飛びワクワクして生きる楽しみがある。
そのことなのでしょうか?
そして肉体の健康に恵まれ、何の恐れもなく死に向かう。
そのことなのでしょうか?
あなたは一体なんなのでしょう。
人生に於ける数々の霊性の体験は今生における宝物です。
なぜかといえば人は決して一度きりの人生ではないことを
その体験は告げていると確信させるものだからです。
人間ですからとてもつらい体験が皆様にもあることでしょう。
しかしその体験の客体を憎むことなく、輝きをもって
受容し主体客体ともに赦しを持って通過する時、人はさらに
反転し輝き、次なる天啓を受けることとなるのでしょうか。
人間的な喜びや悲しみ怒りに翻弄されている間は無明を去ったり
無知を知ることは出来ないのかもしれません。
自分とは何か、この現実とは何かが分かった時に
いかなる時もいつも幸せに満ちいつも喜んでいる自分(分け御霊)に
驚くことでしょう。
人生という旅は続いています。
つづく・・