人はどこにいるのか

世界が平和になったらほんとうに自分は平和なんでしょうか。自分が平和であることと世界が平和であることとはどんな関係があるんでしょうか。

自分の見ている世界は自分の意識の現れといわれます。でしたら自分の心しだいで平和かどうかが決まります。平和だけでなく幸せ感もそうです。満足感もそう。世界がどうであろうと、ほかの人がどうであろうとようは自分の心しだいです。

そんなこと言ったって、どこかの国が攻めてきたらそんなこと言っていられないよ、と人はいいます。攻めてくることを見る人と、見ない人がいます。見る人の意識と見ない人の意識がちがうようです。会社や学校で意地悪な人がいて自分をいじめると悲しんでいる人がたくさんいると聞きます。

意地悪な人はほんとうにいるんでしょうか。
意地悪な人ってどこにいるんでしょうか。

やってみるしかないですね。やってみて、自分が体験したことしか確信が持てないように人間はできています。人からの話はそれこそ嘘っぽいですね。ほとんどの方は偉い人の話とか、他の人の体験話を信じて確信したかのように話します。自分がしたこと以外は、というかそれもですがすべては幻想と思っていいようです。ほんとうに意識しただけの現実を自分が見ているとしたら、その確信を得たら、もう意識を自分流に持っていくしかないですね。自分が嬉しいように、喜ぶように。それはきっとみんなが嬉しくて喜ぶことと同じかもしれませんね。

気づいて行動することの連続から、真理が見えてくるかもしれませんね。ほかの人から言われて動くのでなくて、自ら動き続けることが大切でしょうか。

「出した意識が返ってくる」が真理です。

信じないでくださいね。(笑)

谷神(こくしん)

真理は勉強したり理解したりするものでなくて、気づくことなんですね。個人が気づかなくても、厳然としていつも真理の中にあるわけです。

だからなんだかいつも集中して一つことに今を生きている人そのものですね。それも楽しくて楽しくて仕方ない人はすでに真理に生かされていますね。そこに善悪や正邪の判断はありません。

欲って言葉って 昔神様は谷に住むって言う伝えがあって、だから神谷さんっていうのかと変に納得したことがありました。だけど神様はあるっていうか、形がなくて一つし かないようなので、それはなんだろうって思ったら、飯島さんに会ってそれは真理法則のことと納得しました。

だったら欲って言葉がわかります。
谷が欠けている。

谷は神様の住むところだから、いいかえれば、神様は住むわけないので、真理そのものが谷。真理そのものが欠けた生き方が「欲」ですね。

真理とは分離感のない「元一つの源」が私達のふるさとと、気づいて生きることですね。現実と思われる世界のどんな欲望も、元一つの源を感じることに比較すれば、比較しようのないちっぽけなことでしょうか。

車の運転中に「そこ」にはいった飯島さんは、「目にワイパーがいるよ」って言いました。激しい慟哭と涙は、何にもかえがたい感慨のようです。先日のテネモスミーティングのGさんもそうでしたね。

「いつも喜んでいなさい。」

イエスさんがほほえんでいます。

ここにあるもの

「あるヨギの自叙伝」の著者バラマハンサ・ヨガナンダの師の著書を奨められて読みました。学びには導く師が必要と言う、いつものインドヨガの慣わしにはちょっと?でしたが、少ない言葉の中にこの世の真理が見え隠れしていました。

まず世界は言葉があって 始まります。そして時間があって、変化を象徴しています。空間があって分離を現します。そしてすべてのすべてのもと、源の無限エネルギーである宇宙原子があります。

その4つがそろって現象の世界を認めます。そしてそれは幻想です。ですがこの幻想が私たちを導きます。それは気づきへとです。

何の気づきでしょうか。

私たちは源から離れていることはないという気づきです。それを学ぶために幻想の現実世界があります。素敵なご縁が導きます。やっと会えた人たちに感謝の毎日です。肉体が時間という変化を表す単位を気にし出す頃、懐かしい出会いの終焉が近ずいてきます。分離がない様に、普遍を求めなさいと常に言い聞かせて毎日が過ぎていきます。

源は一つです。
そして無限です。
無限の霊か有限の肉体か。
真に自分しか存在しないのか。
道探しのたびは続きます。

憶念

「誰も自分の本当の心を知る者はいない。」

それは憶念だからと言い残して飯島さんは去って行きました。

憶念とは。

自然世界が生まれる元の宇宙原子の世界のことです。恒常的に0の天然世界で今ももちろんあります。それを知れば変化してやまない自然世界のいかなるものをも比較できないほどの深淵で計り知れないふるえをよぶ感慨があります。この現実の世では分かり得ないものです。

そのものを感じていただきたい。
それもすべての方にです。
チャンスは常にあって、誰もが可能です。
求めるものは得られます。
信じる者は 救われます。

テネモスさんでの5月7日

幾度もテネモスホールで公演なさった北九州の宗美佐さんのコンサートが5月7日にテネモスさんでありました。ソプラノ歌手 宗美佐さんのライブ & 自然が教える生命研究会世話人 城雄二(しろ ゆうじ)氏その他テネモス関係者による講話を開催します。というふれこみでした。

午後一時に始まりました。
自然人宗美佐さんの声がノーマイクでホールに響きました。時々何かを思い浮かべるような宗さんでした。フィナーレの大音声にホールが揺れ動き心は無になりました。

城雄二さんは以前大学の先生でした。
だから軽妙に真理を伝えます。

飯島さんの飛行機がなぜ飛ぶのかのお話にずっと求めていた真理を見た気がしたと言われました。それからたくさんのご縁のお方のお話がありました。私も呼ばれました。ちょっとどうしようかと思いましたが、数々の言葉が口から出てまいりました。

テネモスさんに17年くらい通わせていただいて、一番心が震えた飯島さんのお話。そして何より飯島さんのご両親に授かったお二人のこどもさんがすべて逆縁で他界された事実。その事実をしっかりと受け止めるだけの偉大さがご両親にはあったこと。ほんとうに偉大なことをなされた飯島さんとそのご家族。人には言えないつらい時代を一緒にすごした奥さん。どんなに大変だったことでしょう。今ありがとうと、改めてお伝えさせていただきます。

6月4日のテネモスミーティング名古屋の日には、飯島さんのそばで三年間みっちりと鍛えられたスリランカのマデュカさんが日本人よりうまい日本語で理路整然と学んだことを伝えてくださることと思います。

そして釘本さんや、宗さんも参加してくださるようです。みんなでまた「まるえい」さんにも出向きます。なつかしい再会の縁があります。

「死なない生き方」 飯島さん

最近アマゾンのキンドル版で出版されました「死なない生き方」ですが、今は販売されていません。なぜだかはわかりません。出版後すぐに購入して読ませていただきました。気になった言葉群を抜粋させていただきます。

「死なない生き方」 飯島秀行さんキンドル版より。

*野菜は死なず、再び野菜として返る。
*釈迦の「物欲 色欲を捨てなさい。」は、物質を見るな本質を見よ。
*おそろしいのは元一つを知らないこと。
*水は基本的な細胞を生み出すもの。
*食べたものは水になる  細胞になる。
*食事は細胞の調達。
*空気とは水 プラナ。
*発声はエネルギーを吸引している。
*死なないとわかったら 病気は恐くない。
*瞑想を通さずして、天に帰ったものは誰もいない。
*人間の最大の仕事は輪廻の克服となる。
*今死ぬときの意識状態で幽界に生きている。(自殺)
*意識したものが現れる。
*水は質量 女の神 大霊はエネルギー男 父なる神。
*死んだら癌が消えていく。
*癌を意識しなければ、癌は消える。
*癌を忘れるくらい楽しいことをする。
*普遍意識や全体意識で行動する人は癌にならない。
*自分が空だと思って語ることは、全世界に向かって語っているようなもの。
*「思ったものが現れる。」これのみ強く言っておきたい。
*亀(精子) 竜宮(子宮)で10月10日いた。浦島太郎
*ダイヤは石炭よりもっと燃える。
*肉体は神の化身。
*すべての物質は存在していません。存在しているのは水と霊だけです。
これが「空」です。「神」です。宇宙には神生命しかいない。
*形に名前がある。 本質には名前はない。本質は「命」。 元一つ。
*命名で分離した。
*一つにして多身。 すべては兄弟。ひとつの生命。