真理の光 その3 自然界の法則 思ったとおりになるとは

人間は思ったとおりになる、それは真理の法則。このことのひとつの仮説を立てました。

「原因なき 原因」

科学者が物事を研究し尽くすとき、いつも小さな単位の電子や陽子や中性子や光子(フォトン)がどこから生まれたのかに行き当たります。それは不明なのです。

だから因果の法則である、自然界の法則もただ一つ、現実界を見せている元の最小の単位である素粒子なども何故できたのかがわからないようです。

科学の難しい話ではなく。この現実界の成立している原因であるもとの小さな単位の発生の理由がわからないので「神」とも「原因なき原因」ともいわれるのです。

それはともかく物質になんらかの力が働くとき、電子(-)が動いて光子(フォトン)を呼び込むと聞きました。そして電子があるべき位置に戻ろうとすると光子が飛び出て光るとも。光子が電子を固まらせて物質にさせる大きな役割を持ってることも。

電子の形は不明とされています。それは電子の周りにはさまざまな振動数をもつ、さまざまな光子がびっしりと雲のように存在して電子を隠していることによるようです。

このように、

電子と光子.gif

原子核と電子である原子が光子の働きをえて、さまざまな万物に形を作っています。

もとは原子ひとつからです。

「原因なき原因」の原子は宇宙のあらゆるところに遍満しています。それがあることで固まって宇宙にある星ぼしになりました。そして生命体が生まれ、人類が生まれました。光子は電波であり磁波であり粒であって、電子のながれである電気の力を伝播します。光子といっても見える可視光線だけではなく、無限の異なった振動数を持って電子の周りを覆っています。

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真理の光 その4 因果 空と物質

「玉みがかざれば 光なし」
「机を磨くと何故光るんだろう。」

この疑問をEさんは随分長い時間考えたようです。そしてその答えが物質に圧力がかかればエネルギーが吸引されて物質は酸素いっぱいになり光り出す。との結論のようでした。

しかしエネルギーが入るとはどういうことなのでしょうか。

光での解はこうとらえました。

「物質に圧がかかると、物質内の電子が不安定になり安定状態に戻る(0に戻ろうとする)ために「光」を発する。」

押すとは押そうと思って押します。
意識エネルギーです。
そうすると自然の0に戻す法則が働いて。
反発力が生まれます。

この反発力が自然エネルギーでフリーエネルギーとも言われます。 “真理の光 その4 因果 空と物質” の続きを読む

真理の光 その2 物質は何故固まるのか

光と原子.jpg

上の図は、光は物質の糊と言った浜松ホトニクスの会長さんのビジョンの中にありました。 またご著書もあります。詳しくはこちらで。

浜松ホトニクスのビジョン

浜松ホトニクスといえば世界的に有名な光電管の企業です。

カミオカンデでの小柴さんの発見に貢献した光電管の制作会社で、影のノーベル賞といわれました。この会社の会長さんである畫間輝夫さんは物質の基本単位である原子は原子核の+と電子の-で構成されているので、そのままだと自然の法則で+と-は引き合って0になってしまう。それなのに原子の単位がたくさん集まって物質としてなりたっているのはその間に光が介在しているからだと言いました。

そして物質として固まるのは、その光が糊のような役割を果たしていると。

この四月から名古屋にレゴランドができました。このレゴは原子1ケのようなもの。レゴは人が力を入れてはめますと、どのような形にもなります。人が光のようなものです。

「すべては光」  この言葉の意味が少しはっきりとしてきました。

畫間会長さんのお名前は興味深いです。
ひるまてるお さんです。

まるでひかりの化身のようなお名前です。この方に影響を与えた方が、この国のテレビジョンの発明者、高柳健次郎さんでした。高柳さんは後の静岡大学の最初の学生さんでした。ラジオが電波で送ることができるのならば、映像もできるはずと学長さんの支えもあって研究を重ね、ついに「イ」という画像を電送することに成功します。戦前のことでした。

金属に光が当たると1ケの電子が飛び出ます。(光電効果)それを真空管で幾度も反射させ、真空管の底部では一ケが1000万ケにもなります。光は、

―ガンマ線―エックス線―紫外線―可視光線―赤外線―遠赤外線―電波―

となり。可視光線は光のほんの一部であり、波長はガンマ線のほうが短く、振動数は大きいです。ガンマ線とエックス線と紫外線の一部は地上までには届かないようです。見える可視光線を主に使って電気を集めるのが太陽光パネルです。でも光一ヶで電子一ヶが太陽光パネルなのです。もし電子一ヶが1千万倍になって、電圧(電気のダム)をつくり、電流となって流すことができたらエネルギー問題は解決します。

この現象の世界のエネルギーと言われるものはすべてのすべてを生み出します。水も食料もです。それが地球上にまったく平等に太古の昔から降り注いでいます。実は夜も昼も雨の日も雪の日もです。

光は電波であり磁波です。(電磁波)
見えるものだけが光ではないです。
見えない光こそ大きなエネルギー(振動)を有しています。
まさに光は天照大御神ともいえるようです。

真理の光 その1 すべては光

平成5年ですから、今から24年前の11月、広島のお寺にいました。そこですでに故人となられたKさんの小太鼓の響きにふれました。そのときのKさんのお写真です。

川野政次さん.jpg

広島の方々に大変にお世話になりました。

実はその日は仙台からも大阪や名古屋からもたくさんの方々が集まりました。今年三月からのものすごいスピードでの出来事がコレまで生かされてきて不明だったことへの理解を深めてくれました。

「すべては光」

その日お寺の和尚さんからお聞きしたこの言葉はなんとなく理解しながらも不明でした。光がすべてなら、元である神様も光、そしてその子でもある人間も光、そして万物もまた光ですので、すべてがひとつであるのに異ならないのです。

今年の3月3日岡山にいました。

テネモスのKさんからのお誘いで、震災から加速したオフグリッド(送電線網に寄らない、すなわち自前の電気)の電気で自宅をまかなっている方たちの家を訪問させていただきました。ただそれだけだったら、そうかで終わっていました。でもそれだけではありませんでした。

岡山市内でのお寺で、その日集った人々に加えて新しい技術で自前の電気を確保しようとする提案がありました。そこからさらなる旅が始まりました。

「すべては光」の真の理解への旅でした。今朝のお日様です。

太陽今朝.JPG

そして今朝の冴えた月です。

月」「.JPG

日も月も晴れても雨でも曇ってもいつもあります。

この国のどこかに・・・・

この国のどこかに・・・・

ももえさんの歌の文句ではありませんが。
最近になって立て続けに映画を見ました。
自分で見たいと思った「君の名は」。

昔の同名映画は岸恵子さんと佐田啓二さんが主人公です。小学校5年生のときにバスの中で生オケでこの主題歌「君の名は」をうたったほど好きな歌の題名でした。でもこの映画の上映館はほとんど若い方ばかりで恥ずかし。終わったら明るくなる前に先に出ようと思いました。

この映画には長く続く人間の「縁」を感じました。一回だけでない人の生涯。だから肉体は仮の宿で、意識だけがずっと継続することを表現している映画と思います。若い方や世界でも、そして韓国や中国でも話題になるはずです。「今」お会いしているすべての人々との懐かしい縁を大切にしたいと思わされます。きっと涙された方もたくさんおありでしょう。

次は他の方に奨められて「この世界の片隅に」です。
もうボロボロでした。

何にこんなに感じたんでしょうか。おばあさんが出てきてしゃべるだけでもういけません。戦争中、戦後食べるものがなくて苦しいはずなのに、家族はみんな愚痴も言わず食卓は笑いが絶えません。あるものに感謝する、こんな大切なことが普通に家族にある昔の情景です。物質が大変に豊かになった戦後ですが、このなんにでも感謝すると言う基本がだんだん遠くなっていました。そして広島長崎の二つの激しい記憶さえも遠くなってきていました。

6年前の福島。原発の是非云々よりも何よりも、この国のどこかが人の住めない場所になっている事実を改めて認識し思い出しました。ふるさとに生まれ育ち、ふるさとを追われ戻れない。福島の人たちの悲しみが迫ります。そして逆に戦後復興した広島長崎の人々の、そしてこの国の人々の底力をも感じました。多くの方に、特に今苦しいであろう若い方々にぜひ見ていただきたい、勇気が出る、心があったかくなる映画と思います。

そして最後に「沈黙」。
遠藤周作さんの原作です。
重い映画です。

信仰を捨てることを他が強いても、それは形ではできても心の中を変化させることはできません。肉体的な苦しさよりも、他への思いやりによる苦しさに絶えられず、形で信仰を否定した主人公ですが、結局は何も変わらずに肉体の生涯を終えます。限界のとき、いくら問い続けてもずっと黙ったままの神。最後に少し軽いイエスが主人公の心に赦しを与えます。自分が自分を赦した瞬間です。自分の心にずっとあるどす黒さや弱さを見させてくれる映画です。そしてどなたの中にでもある神性をもまた見せてくれると思うのです。

予防医学~すべての生命体に共通~ (3)

生のものを食べ続けると内臓を弱めることと聞いていましたが、それは古いものかもしれませんね。植物も収穫して時間が相当経過したものとか、肉や魚も冷凍したりして時間が過ぎたものはいけないかも。生野菜にドレッシングはやめたほうがいいのは脂分が肉体の放出を促すからでしょうか。

前項2の植物の水分は油と混ざる、に興味がありました。肉をたくさん食べる西洋の人たちは合わせて生野菜をたくさんとります。肉の脂分を溶かす智恵でしょうか。水は油とは溶け合わないですが、乳化して混ざり合うことはできます。水の中に油分が分散するか、水分の中に油分が分散するかですね。コロイド状ともいいますね。牛乳とかパスタとかマヨネーズとかいろいろありますね。

それで以前には、ある方に教えていただいて、軽油に水を150CCほど入れて、自動車のオイルの廃油になったものを50CC入れて混ぜて特殊な方法で混ざり合うかどうか試しました。

なんどかやりましたが少しは混ざり合うのですが、いつも水分がペットボトルの下の方に残りました。ところがバンブーで1週間ほどブクブクしましたら下のように水分が軽油に混ざってしまいました。

軽油と水と廃油.jpg “予防医学~すべての生命体に共通~ (3)” の続きを読む