真理の光 その3 自然界の法則 思ったとおりになるとは

人間は思ったとおりになる、それは真理の法則。このことのひとつの仮説を立てました。

「原因なき 原因」

科学者が物事を研究し尽くすとき、いつも小さな単位の電子や陽子や中性子や光子(フォトン)がどこから生まれたのかに行き当たります。それは不明なのです。

だから因果の法則である、自然界の法則もただ一つ、現実界を見せている元の最小の単位である素粒子なども何故できたのかがわからないようです。

科学の難しい話ではなく。この現実界の成立している原因であるもとの小さな単位の発生の理由がわからないので「神」とも「原因なき原因」ともいわれるのです。

それはともかく物質になんらかの力が働くとき、電子(-)が動いて光子(フォトン)を呼び込むと聞きました。そして電子があるべき位置に戻ろうとすると光子が飛び出て光るとも。光子が電子を固まらせて物質にさせる大きな役割を持ってることも。

電子の形は不明とされています。それは電子の周りにはさまざまな振動数をもつ、さまざまな光子がびっしりと雲のように存在して電子を隠していることによるようです。

このように、

電子と光子.gif

原子核と電子である原子が光子の働きをえて、さまざまな万物に形を作っています。

もとは原子ひとつからです。

「原因なき原因」の原子は宇宙のあらゆるところに遍満しています。それがあることで固まって宇宙にある星ぼしになりました。そして生命体が生まれ、人類が生まれました。光子は電波であり磁波であり粒であって、電子のながれである電気の力を伝播します。光子といっても見える可視光線だけではなく、無限の異なった振動数を持って電子の周りを覆っています。


ここで旧約聖書の始めの言葉から考えてみました。

「はじめに言葉ありき」
「言葉は神なりき(創造者である)」

始めに言葉がないとまず物質が固まらない。

だから最初の最初に「原因なき原因」である神(創造者)があって、天地の創造者である神は言葉そのものと言っています。神は形なく、二つとないともいっています。天地創造の最初の項目です。

(ヴィキペディアから)
天地創造(てんちそうぞう)とは、厳密にはユダヤ教のヘブライ語聖書、キリスト教の旧約聖書『創世記』における世界の創造のことを指す。宗教絵画などでよく題材となる。

天地創造の流れ

ユダヤ教・キリスト教の聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれている。

1日目 神は天と地をつくった(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。暗闇がある中、神は光をつくり、昼と夜ができた。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休んだ。

ここまでです。

聖書のことですから、もちろん信じる方だけのお話ですが、聖書はこの現実の物質世界の成り立ちを、大きく言って陽子(+エネルギー)と電子(-形)とそれをくっつけて物質という現実世界にしている光子(フォトン)の関係を語っているとも考えられるのです。

ここで光は見えるものも見えないものもあるので、4日目に作られた太陽が光子の元ではないようですね。1日目にはすでに光が作られ、天と地、光と闇ができています。

その後神はあらゆる自然物を創造します。
そして日曜日なのか休みました。

いずれにしてもこの「天地創造」の物語から物質世界を作ったのは「神」という原因なき原因だとわかります。そしてまた電子も陽子も光子もただある状態の時には認識されることなく存在しすべての原因として「0」不変であったとはいえないでしょうか。

この自然界の真理法則は「出したものが返る」です。また作用反作用の法則とも言われます。押したら押し戻す力が働く。

自然界の法則はまた、エネルギーが物質を変化させる。物質が物質を変化させることはないとも聞きました。物質と物質にエネルギーギャップが働くとそれを「0」にしようとする働きが真理法則であり「神」ともいえます。そのもともと「0」不変の無宇宙に「神」の意識(エネルギー)が働いた。

意識はエネルギーです。

その意識を神が出したことによって、その意識を「0」にするべく、その意識されたことを次々に現実化された。現実化によって神は充たされ「0」になった。

それは現実界の真理法則どおりです。

この世界は無限の意識が作用しています。その反作用としてこの世界があるとはいえないでしょうか。真理の法則は意識する(思う)ことで、その意識エネルギーの反作用として必ず現実化するようです。

変化してやまないこの現実ですが、常に意識したことが良い悪いは別として、現実化することが真理法則であれば、神の子である人間は、神と同じ無限意識と無限エネルギーを持って存在していることは確信できることと感じます。

「思ったとおりになる。」

思ったことがかなわないのは、かなわないと思っているから。

「想念は実現の母」  イエスキリスト

「あなたは思ったとおりの人間です。それ以上でも以下でもない。」  知花 敏彦 師

いろんな言葉が浮かびます。
人間はすべての人が神の子ですね。