古代日本のロマンに、私たちを不可思議な力で導いてくれるのが「いろは歌」です。日本人なら誰でも幼いころに「いろは歌」を聞かされたものです。今なお物を整理するときなどに数字順同様「いろは順」が使われ、一千年以上の時を経た今日でも、人々に馴染みの深い字母歌として親しまれています。しかしながら不思議と最後まですらすらと「いろは歌」を語れる人がほとんどいないことは不思議です。
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2527「肉体の死を超えて」2021.11.25 自分で自分を自分するから
https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/252720211125.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月19日の記事を紹介します。
「肉体の死を超えて」
父の逝去に当たり、沢山の皆様よりお悔やみのお言葉を頂き感謝申し上げます。
本来は、お一つお一つ返信させていただきたいところですが、あまりに数が多いため、
恐縮ですが、こちらにてお礼に変えさせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
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ワクチン打っても
みたから開いて 食事を考える
https://sinsd.com/post-9077
IN DEEP から R3 11/24
ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 21 解脱を願う者にとって・・・
ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 22 目覚めているのと、夢見ていることに・・
22・目覚めているのと、夢見ていることに
違いはないのでしょうか?
眼が覚めている状態は長く、夢は短い。
この他には何の違いもない。
眼覚めている間に起るできごとが真実と
思われるように、夢の中のできごとも
夢の中では真実のように思われる。
夢の中では、心は自分のものではない
身体に宿っているかのごとく装っている。
眼が覚めている状態と夢の両方の状態に
あって、想い、名前、形が同時に現れてくる。
「神武天皇の御名に込められた建国への思い」 日本とユダヤのハーモニー
ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 23 解脱を願う者にとって、本を読む・・
23・解脱を願う者にとって、本を読むことは
どんな価値があるのでしょうか?
すべての聖典は、解脱を得るためには
心を静かに保たねばならないと説いている。
だから、全ての聖典の結論は、心を静かに
保つべしということである。
ひとたびこのことが理解されるなら、際限もなく
本を読む必要は何もない。
心を静めるために、人はただ自分自身の内に
自己とは何かと問いつづけるべきである。
聖典を読むことによっては、この探求はできない。
人は自分自身の智慧の眼で、自身の自己を
知らねばならない。
自己は五つの覆いの内側にあるが、書物はその外にある。
自己は、五つの覆いをはぎ取ることによって
探求されるべきものだから、それを書物の
中に求めることの愚かしさは、言うまでもない。
やがて、彼が勉強したすべてのことを忘れ
去らなくてはならないときが来るだろう。
※五つの覆い
五つの感覚機能、視覚、臭覚、聴覚、
味覚、触覚のこと。