今生ではお会いすることが叶わなかった
森信三先生ですが、そのご著書から
さまざまな生かされるうえでのヒントを
賜りました。
特にご著書「修身教授録」は、時に
目が覚め、時に愕然とし、時に勇気を
いただいています。
そして毎月の早朝読書会の教本として
長い間使わせていただいて、ご本は参加者の方々の
魂をも揺さぶっていることでしょう。
本日、会社の小さな書棚を何気なく見ていますと、
薄い冊子「森信三先生の言葉」を見つけました。
どなたかからいただいたものと感じますが、
コピーです。
「修身教授録」のような格調高い文章でなく
森先生の人生において、森先生に大きな
影響を与えたのであろう言葉群が続いていました。
「森信三先生の言葉」1-34回として
皆様にご案内させていただきます。
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1 養家が一小作百姓だったので、わたくしはすでに
小学生のころから、小作米を車に積んで
地主の家に搬んだ養父の後ろ姿は、八十年後の
今日なお眼底に焼きついて消えず、このことは
これまでにも幾度か書いたことがある。
庶民階層の底辺の実態を知り、そして生産の
最下の基盤で働いている人々は、いつ如何なる
時代にも恵まれないものだーということを、
私は骨身に沁みて知らされたわけである。
だが庶民の世界は、いわゆるインテリの世界より、
遥かに暖かで実直であった。
〇
今や人類が現段階に達して必要とするのは、
いわゆる英雄とか英傑とかと呼ばれるような
人たちよりも、むしろ万人の苦悩を己が苦悩として
共感しうるような、真の聖哲ともいうべき人ではないかと
思うのであります。すなわち、今や人類が現段階に
達して希求する人物は、多くのものを生産し、
幾多の人間を動員するような大力量底の人物
よりも、その人の存在が、多くの人々にとって、
人生の深き慰藉となり、この苦悩に充ちた
人の世を生きていく上に、その人一人の存在に
よって堪えゆけるというような人物では
ないでしょうか。そしてそのような人物とは、
結局、自分と縁ある人々の苦悩に対して、それぞれに
深く共感しつつ、その心の底に「大悲」の涙を
湛えて、人知れずそれを噛みしめ味わっている
底の人ではないかと思うのであります。