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「全一学」は、一応智を表面に出してはいますが、
その背後には情・意があるのです。
智は比較的教えやすい。ところが情・意
となるとむつかしいですね。情については、
講義の初めに戦前は島木赤彦の歌を、また
戦後は、坂村真民さんの詩を紹介して
来ました。ところが生命の全一をつかんでいるー
つまり知情意の統一されているのが道元であり、
慈雲尊者です。さらに生命の全一をつかんで
現実の大地に立ったのが尊徳といえるでしょうね。
また、いのちを「孝」の一点に燃焼させて
全一をつかんでいるのが藤樹先生でしょうね。
〇
人間、身体を持っている以上有限ですから
「理」だけでは生きていけないのです。
そこからして死後を考えざるを得ない。
自己自身が有限ですから、いのちの絶対的淵源を
憶念せざるを得ないのです。自然科学的な「有無」の
問題ではないのです。
西田先生は「死後はどうなる」ということは
説いておられない。「西田幾太郎全集」全19巻の
中にも何ら触れられていないのです。
私が「全一学」に進んだのもそのためといってよいのです。
〇
ものは実感でつかむ。さらには体でつかむこと。
つまり実感に始まり行為に了るのです。
実感は消えてゆくが次第に、少しずつではあるが、
細胞が秩序づけられてゆく。
そして、楽に行為になってゆくのです。