【テネモス通信 20240101】新年のご挨拶とギフトボックスご案内

****************

テネモスの語源は、スペイン語で「わたしたちは持っている」です。
大宇宙を営む無限性に生かされている私たちは、
その力そのものの存在という観方を基本にしています。

****************

皆様、新年あけましておめでとうございます。
昨年はテネモスネットの製品をご愛顧いただき、誠にありがとうございました。

新しい年を迎えるにあたり、
テネモスネットの想い、原点をお届けさせていただきます。

【 テネモスの原点 】 

テネモスネットは、創業者である飯島秀行が、
先代のシクラメン、アジサイなどを栽培する飯島園芸を継承し、
日本一のアザレアを作りたいという熱意から始まりました。

何事も突き詰めて取り組む飯島は、慣行農業を徹底的に実践研究していきました。
しかし子宝に恵まれたのを転機に、化学肥料や農薬の別の側面を意識するようになります。
そして食卓に安心して飾れる無農薬の鉢花栽培を目指し始め、
『地球の応援団』という団体を立ち上げました。

設立趣意は、
「やがてきたるべき未来のため、これからの世界を担っていく子供たちを、恐ろしい農薬の害から守りたい」
これが、テネモスの原点へと続いていきます。
「自然を大切にし、害を出さず、自然と共生できる世界を創る」

また同時期から、自営の農園では、農薬を使うことを一切やめました。
試行錯誤する状況が5-6年間続きました。

栽培者の常識が通用しません。
手をかけた鉢には病気が出て、
手をかけられず、水だけをあげていた鉢には全く病害虫が出ないのです。

悩みに悩んで行った数百鉢をつかった検証栽培の結果、
思ったのは「自然界はトラクターが入っていない・・・」ということでした。

・・・病気は作るものなのだ。自然界は病気を作っていない。

創業者が、環境改善に貢献する仕組みは、
他でもない「自然の仕組みの中にある」と大自然に教えられた瞬間でした。
“【テネモス通信 20240101】新年のご挨拶とギフトボックスご案内” の続きを読む

2023年 暮れ 「ガーコはまだ生かされている」

堀川の橋の下。

ガーコはずいぶんの間独りです。
今日は寒いのか丸くなって動きません。

護岸工事で3羽いた仲間がチリジリに。
どこに行っているのかもわかりません。

1羽だけ残されたガーコに勝手にガーコと名付けました。

毎日午前10時頃そのガーコに橋の下まで行って
えさと水を届ける女性がいらっしゃいます。
危険な場所です。
そしてとてもガーコのことを気にかけて近所の
特に女性の方々が橋を通るたびにガーコの
様子を見ています。

ガーコはまだ生かされてあります。

誰かが誰かを気にすることがあれば大丈夫と
思います。

餌とお水を届ける方に頭を垂れています。

2023年の大みそかです。

霊性の旅  「魂は永遠に」

令和5年の12月22日に会社にHさんが
訪問されました。

その時ラインに写真を送りますからと、数枚の写真を
送ってくださいました。

その写真は11月の冠之会の懇親会の終了後
家内と共に皆さんのためにとお貸しした二本の傘を
互いに持ちながら歩く二人の後ろ姿。

なんだか異次元からの写真のように感じます。

大写し
“霊性の旅  「魂は永遠に」” の続きを読む

霊性の旅 「サヨナラだけが人生だ」 別れの時

令和5年12月23日に一枚の喪中はがきが届きました。

古い友人のIさんの他界のお知らせ。

もう30年交友が途絶えていました。

「Iさん亡くなったんだ・・・」
漠然とそう思いました。
30年前自己創造のセミナーにお誘いしました。
一旦快諾。
翌日奥様からお断りの電話。
きっとIさん自身から断りにくかったんだと思いました。

それから30年がたっています。
とても仲が良くて、二人は黙っていても幸せな時間が
流れる仲でした。

29歳の時、第三創業で会社を立ち上げました。
名古屋の中川区がその第三創業の地。
Iさんは同じ中川区で同じ事業を営むM商店の番頭さん。
自分は
たった4年間しか板金業種の経験がなく、まして
経営はド素人です。

Iさんはそんな自分に
「なんでも言ってね!、どんなことでも協力するから」と
おっしゃってくださいました。
それからおよそ15年間のお付き合いが始まりました。

一年に幾度も彼の好きだった、そしてとてもお上手だった
ゴルフに行ったり、四人の仲間もできて毎年夏、駒ヶ根カントリーに行き、
四人でプレーします。いつもビリは自分でしたが
とにかく面白くて楽しい思い出ばかりです。

さらに三か月に一度くらい、四人で会食です。
とくに大須にある居酒屋さんで渡り蟹の旬を
いただくことが年中の楽しみとなりました。

Iさんは事情があって勤めていたM商店を退職され、
別の職業へと。
それでも時々会社に立ち寄ってくださって、交友は
続きます。

30年前のセミナーへの誘いが二人を分かちました。

自分はそのセミナーがきっかけでまったく層の異なる
人生の道を歩き始めていました。

父、そして長女の他界の直後、
Iさんは突然に会いに来てくださいました。
「不義理ばっかりで・・」とおっしゃいました。
自分は冷たくも
「ほんとにそうだよ・・・」と
短い会話。
仲が良かった二人でしたが、道が異なって22年がたっていました。

それがIさんとの最後のお別れでした。

何の感慨もなく会社で喪中はがきを読んだんですが、
夕方家に一人で戻りますと、急に悲しみが
襲ってきました。

「Iさんごめんね。死んじゃったんだ・・・」と
恥ずかしながら涙にむせびました。
人生でとても仲良く過ごさせていただいたこと、
そして大恩人となってくださったことを心で
感謝しました。

訃報が翌23日にも続きます。
広島のグループライン仲間のMさんからです。

「中村 公隆 名誉住職さんが14日に亡くなられました」
“霊性の旅 「サヨナラだけが人生だ」 別れの時” の続きを読む

霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 13 終章 エピローグ 鈴木大拙 「霊性的世界」

終わりにあたり友人から勧められた
鈴木大拙 「仏教の極意」の出だしの
文章のご紹介です。

昭和21年に鈴木大拙さんが昭和天皇に
講義された内容からです。

第一講 大 智

 仏教のお話をする前に、宗教一般についてちょっと申し上げたいと思います。それは宗教が誤解されがちだからです。
仏教も一つの宗教であります。それでまた外の諸宗教のように、生活そのものと何ら直接の交渉を持っていないと考えられることが往々あります。ひどいのになると、宗教はただの迷信でしかない、極楽があろうが、地獄があろうが、そのようなことには、自分等は全く無関心だというのです。まだまだひどいのになりますとこういいます。
ー宗教は群衆を酔わす阿片だ、資本家や官僚はそれを使って群衆を自分等の意志のままに盲動せしめているのであると。少なくとも、宗教排斥者は、神を利己的祈りの対象に過ぎないと見ているのです。
 仏教が宗教としてこれ以上に出ないものとすれば、仏教が吾等日日の生活の上に及ぼす働き、また及ぼさなければならぬ働きというものに対して、これらの人人は何ひとつ了解しているところがないといわねばなりません。
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 13 終章 エピローグ 鈴木大拙 「霊性的世界」” の続きを読む

霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 12 エピローグ 「12因縁」

1,無明  即ち、無知盲目の為に、真理を真理と見ず、煩悩を起こし、それに縁って、

2,行   即ち、真理に背き、道理に反する行いを生ずる、この無明より起る根本の盲目的活動を余儀なくされる。これに縁って、

3,識   即ち、無明と行に縁って、まず母体に宿る我々に、精神的作用、主観が起る。これに縁って、

4,名色  即ち、心的現象、物的現象の霊肉が、母体で備わること、精神的作用、これに縁って、

5,六処(六入) 
      即ち、眼耳鼻舌身意の、六根が母体内で完全に出来、出胎(生まれ出る)までをいう。それに縁って、

6,蝕   即ち、六根に対する、色声香蝕法の六塵を知り、それに縁って、

7,受   即ち、やや長じて、六根の六塵に対する嗜好を感じ始める。それに縁って、

8,愛   即ち、好きなものを求め、嫌いなものを避けようとする欲望。それに縁って、

9、取   即ち、愛欲の念が次第に烈しくなり、嫌いなものを徹底して排斥し、愛するものを求め、執着することである。それに縁って、

10、有  即ち、愛・取の時代になす行為が、未来の因となり、次生に行く所の定まることである、それに縁って、

11、生  即ち、過去の因により、賢愚美醜、幸不幸まですべて定まり、種々の結果が生まれてくること。それに縁って、

12,老死 生があれば、必ず老い衰えて死んでいく。
      この世に生存することによって伴う一切の憂悲苦悩・有為転変に縁り、生死流転の輪廻を繰り返し、解脱することを得ない。
      即ち、抜け出ることができないでいる。
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 12 エピローグ 「12因縁」” の続きを読む

霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 11 エピローグ 旅の終わりに

いよいよ第10節です。
「十二因縁」のお話です。

日本は仏教国ですから、仏教からの教えが身に沁みますね。
それで、何故私たちは生まれ、そして何ゆえに大変な
「生老病死」を体験するのかを説く「十二因縁」を
ご紹介させていただいて、この旅の心の終わりとさせていただきます。

ただこの因縁説はやはりまだ嘘のようなこの世界で
起きる出来事の克服法としか映らないかもしれません。
佛があるとの基準ですから、ただの一面かも。

もし古代イスラエル的また縄文的意識でこの国が
満たされれば、きっと世界の見本となって世界再生の
先導役になることが出来るのでしょう。
世の光ですね。

この人生の心の旅を通じて感じたさまざまから、
一人でもやるんだという強い意志が生まれました。
どんなことがあっても成し遂げる。

ご縁の皆さんと共に静かに歩んでいくことが出来ますように
祈ります。

現実は影。

意識は永遠で無限。

ここへ来ていただいて、言葉を追ってくださったご縁ある
多くの皆様に感謝申し上げます。

ありがとうございました。

「十二因縁」

人間とは浅ましいもので、現象に執われ易く、
「何事も目に見なければ、信じようとしない」

孔子曰く、

「人、遠き慮り無きときは、必ず近き憂い有り」
“霊性の旅 淡路から神戸へ ~空海のレイラインの終点を訪ねて 11 エピローグ 旅の終わりに” の続きを読む