名古屋駅から南西に徒歩で15分のところに
山善(伊路波いちば)はあります。
ここから車で南西に15分の中川区の場所で
40年間営業し、丁度6年ほど前にこの地に移動。
2018年コロナが始まる少し前のことです。
その40年間は建築板金を営む板金店様が
お客様でした。
営業を始めて15年がたったころ会社でも
建築の板金工事を始めています。
雨樋や金属の壁や屋根の工事です。
そしてその同じころテネモスの故飯島秀行さんに
お会いします。
板金資材の販売とその工事のほかに、テネモスさんの
開発商品をネットやアナログで販売拡販を始めました。
同時並行は続きましたが最初に40年間の資材販売を停止。
本拠地は中村区の現在地に。
そして2023年の昨年に本業の板金関係はすべてを停止しました。
創業者の山田善兵衛さんが起こしてから100年がたっていました。
中川区で46年前に創業してから10年後の40歳に
ご先祖の本拠地に今の山善ビルを建てています。
業界では完全なる異端児。
安売りがあったらそこで買ってもらって!と
そっけない経営者です。
一時は板金資材販売で日本一になるんだと普通の
幼い夢を見ていました。
もちろんその夢はバブルの崩壊とともに儚く消え、それ以降
長く続くデフレ不況に真っ赤な会社に下がります。
そして本拠地を移すことを余儀なくさせる大事件が
会社に発生。
しかしそれはすべて今に至る道程であったと感じ、
むしろその本人さんには今は感謝で一杯です。
そんなことでもないとこんな大きな業容転換は不可能でしたから。
テネモスの飯島さんにお会いしてからと、それまでとはまったく
異なる道となっていったのです。
飯島さんの同志というか先生というかやはり故人の知花敏彦さんには
飯島さんにおあいする3年前にはおあいでき清里には
なんどか瞑想に伺うことが出来ていました。
それゆえに飯島さんとの邂逅は必然の流れであったと思っています。
そして自身にとっては不思議なことをたびたび体験することに
なっていきました。
続く・・