随想 伊路波村から~剣 山 041130

1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。

M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。

出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、
M氏は高松行きに切り替える。

高松空港着。待ち合わせ時間に誰もみえない。

携帯に企画者の高根女史に連絡をとる。
高知が待ち合わせ場所だった。

今日は全員で空海悟りの地、室戸岬を訪ねる予定だった。

我々は電車を乗り継ぎ、タクシーに乗り、メンバーと出逢うべく高松を発つ。

連絡をとりながらだがなかなか逢えない。
途中の小さな駅近くでやっと出逢う。

一路、剣山近くの宿へ、桂橋近くのお宿到着。
なんと二十才の頃キャンプした河原の前の宿だった。

さっそく温泉にM氏と入る。長くお話をうかがう。
人間の本源について、わからないことを聴く。

私の頭は、ついていけない、わからない。それ以上は進まず、宴会。

宴席正面に高根正教さんが座る。
子供のようなウルウル目、話してみえることがらも子供のようで、

内容はさっぱりわからない。とにかくわからないけれど、
誘われるままに参加した旅なのだから。

剣山の秘密、ユダヤ民族と日本民族のルーツ。
始めてうかがうことばかり。したたか酔って就寝。
朝五時起床。思い出の河原にでてみようと外に出る。

旅館の前の道端の小さな花にカメラをむける先客O女史あり。

目に一杯涙をためて、泣いてみえる。
「お日様の光があたって、このしずくなんてきれいなんでしょう。

ダイヤモンドみたい。」そんなことで泣くなんてと、
無骨な中年は思う。「歩きましょうか。」

といって、少し上流へ道なりに歩く。
草がきれいなところにでた。

光にあたって水滴をお日さまに透かして観てみる。
「なんてきれいなんだろう。」

今度はほんとうにそう感じる。O女史のおかげだ。

白装束に身を替えて、一路剣山へ車は走る。
剣神社到着。参拝。七月十七日は毎年、剣山のお祭りだ。

白装束の男衆がみこしをかつぎ、ふもとの剣神社から一時間半程、

山を登り、山頂での儀式を行なうのである。
この日は、京都の祇園祭りの日でもある。

たくさんの全国からの人々が、剣山の途中迄行くリフト乗り場でリフトを待つ。

ほぼ全員が白装束だ。外国人たちもたくさんいる。暑い日だ。
三十分程、順番を待って、いよいよ番がきた。リフトの№をみる。
八八番。腰をすえる。

素晴らしい天気。気持いい―。
と思ったとたん二十M程登ったところで突然に泣く。

目に涙が溢れる。流れでる。鳴咽。何故?何故?何?。

降りのリフトの人が目の前に迫る。恥ずかしい。
何?しばらくすると納まる。十分程で途上駅に到着。

着いてメンバーをみたら、朝逢ったO女史のアイシャドーがずたずたに流れていた。

同じだったんだ。フーフーいいながら、それから四十分、剣山登山。

つる岩かめ岩がある。鶴亀山。
剣山の山中にあるという、泉から流れでる水場に寄る。

山頂は平原。熊笹がビッシリとはえている。これが山頂か。

不思議なことに私は、剣山のことを何もしらずに参加したのだ。

そしてその日から、剣山の謎に興味をもった。
そして次々にそのような話題が目前にあらわれた。

前出の高根さんは、親子二代にわたる剣山研究の第一人者。
ユダヤの契約の箱が剣山に眠っていたというのである。
眠っていた。今はどこに?謎である。

それはともかく不思議なできごとは、インド・ボリビア・イスラエルに迄いたる
好奇心の旅のきっかけとなった。
誘って下さったK女史への感謝の気持ちは表しようもない。

人はみんなつながっているのだろうか。

七宝つなぎ

七宝つなぎのように
輪がつながる。

つながった輪は増えたり
減ったりしながら
いつも異なる輪を作る

そのようないくつもの輪のグループが
無数に増えていく

組織を作れば 崩れていく

輪はいつも 可変状態

次世代の新しい世の イメージ

随想 伊路波村から~秋が行く  041125

休日の朝。

駐車する路上への道すがら、
葉っぱが抜け落ちた銀杏の木を
車内から見上げる。
きれいだなあーーー。

娘と久々に 名古屋城の公園を歩く。

ほっとすることもなく、
歩き続けたママが少し病院で休憩中。

「ゆっくり休めよ。
何にも考えんで。
任せなさい。」

精一杯そんなふうに明るく言葉かけ。
細くなったなあと、足を見る。

ひとまわり小さくなった身体。
選択した人生の種類はあまりに違うけれど、
一緒に30年暮らした。

80歳のおばあちゃんは、
若妻のように若返った。
その背を除けば。

2世代の娘たちは自力で解決の道を探る。

我が家の秋は進んでいく。

随想 伊路波村から~異国にかける夢 041118

「異国にかける夢」

どうして言葉に詰まったのだろう。

そのまましゃべれなくなって、他の方が
フォローしていた。

その方のしゃべっている言葉の意味が
まったく頭に入らなくて、ただ涙だけが
目からふきだしていた。

3ヶ月おきに集う異業種会の卒業生の
集い。少し卒業していない方もみえる。
熱い人々の集いでもある。

お酒が入って、少し興が乗る頃、
お一人ずつのなんでも話が始まる。

席は自然にきまるのだが、なんだかいつでも
その加減で順番が最後の方になってしまう。

それでみなさん酔ってるものだから、
結構ちゃちゃが多くて、そのうち忘れて
しゃべらなくてもよくなる。(笑)

今夜は今話題の中国のお話が多い。
今日は番が来てしまった。

実は中国の方とは縁が多いのだった。

11年ほど前通った飲み屋さんに
美しい中国の留学生の女性と
その友人の男性が勤めていた。

まだ二人とも日本語学校に通ってみえた。
やがてお二人とも大学に受かり、学生になった。

そして2年後女性の方は首席で短大を卒業。
男性の方は大学院に進みその後講士となる。

二人が日本の生活に慣れる頃、
日本への留学生の入国審査が難しくなる。
今はもっと難しいらしい。

たまたま見ていたテレビ番組で数名の
中国人留学生のドキュメントを放送していた。

たくさんの犯罪発生から、あるていどの
貯金がないと日本にとどまれないようになった。

それで国の親に相談する留学生たち。
国の家の事情はよくわかっていて、送金を頼むことも
できず、帰国するもの。

そのまま行方不明になる者。
親御さんの必死の金策で送金を受け、
日本滞在を続ける者。

さまざまな人間模様が描き出されていた。

やっとの努力で国立大学の受験に成功し、
喜びの報告の国際電話のむこうから、
知らされた半年前の母親の死。

「異国にかける夢」はお金という存在が
人間の大切な関係までも崩すのだろうか。

話は戻って、大学院の講士となった陸さんという方から
依頼があったのがもう7-8年前になるだろうか。

「親友が日本への留学を希望しているんです。
できれば、保証人になって下さい。」

そのころなんでも「ハイ!」だったから。
承諾。

だがそれには中国でその方に会って、写真を
とる必要ができた。

知らないあいだがらの保証人にはなれなかったのだ。
正月の休みの3日間を利用して上海へ。

着いた翌日の午前、上海駅で陸さんとともに、
李さんという親友を待っていた。

李さんは現れた。
いかにも純朴で頭のよさそうな青年技師。
北京発の満員の夜行電車で朝着いたのだが、
ずっと立ちっぱなしだったとか。

唇のまわりにはたくさんの熱の噴出しがーー。
朝ごはんを食べ、観光地をまわり、写真をとった。
将来経営者になりたいという彼は
質問してきた。

「立派な経営者ってどんなことが大切でしょう。」

「愛、おもいやりでしょうか。」
「与え続けること」
おぼえたできてないことを話す。

「僕もう日本にいけなくてもいいです。
お会いできましたから。」

かれの言葉どうり、日本に来ることは叶わなかった。

そんないきさつを口に出しながら、
絶句してしまったのだった。

異国に夢をかけた山田善兵衛おじいちゃん。
まったく同じ夢をみて日本にみえる、留学生の人々。

その方たちのいっぱいの想いがのしかかってきたのだろうか。
彼らのその後はどんなだろう。
どこで何をしているのだろう。

随想 伊路波村から~憂きことのなおこの上に積もれかし–041118

昔の話ですが

例の熊沢番山が 番山の師 中江藤樹の話を
聴きに 片道8時間かかる山道を通いました。

そして毎日、1時間の講義を垣根越しに聴いていました。
塾のお金を払うことができなかったのです。

ある日、藤樹は垣根にいる番山を呼びます。
そしてたずねます。

「君はどこから来ているのかね?」
「山をこしたところです。」

「どれくらいの時間がかかるの?」
「片道8時間です。」

「そこでどなたと暮らしているのか。」
「母上とです。」

「そうか ではここに移り住みなさい。
丁度納屋があいているから、そこで
母上といっしょに暮らせばよい。」

しかし番山はこのやさしい申し出を断ります。

「せっかくですが、先生のお話を8時間かけて
聴きにまいっているからこそ、先生のお言葉のひとつも
聞き逃すまいと、真剣になれるのです。」

さすがの番山。藤樹先生はこのとき番山の
資質を見抜いたのです。

番山が読んだ有名なうたがあります。

「憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の 力試さん」

このお話はずっとわたくしのこころの 中に
住みつづけています。

随想 伊路波村から~高野山の秋 ~出逢い・縁~ 041111

平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。

新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。

「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。

小林正観さんの著書「幸せの宇宙構造」のなかにあったのだ。
「ありがとうを無感情に言っていても、1万回位言ったところで、
涙が出てくる。

その後、心から感謝のうちにありがとうが言えるようになる。」
いっそ、「ありがとう」より「ありがとうございます」でいこうかと決めた。
1分間で約50回言える。幸い人も聞いていない。チャンスだ。

豊橋にむかう車中で、1時間半。
そして高野山への道中で3時間半。
合計5時間「ありがとうございます」を唱えてみた。

後で計算してみたら、丁度1万回位のところで(約3時間半)眼から涙がにじんできた。
そして何もかもに感謝の気持ちで言えるようになった。

名阪道を数珠つなぎで走るトラックの運転手さん、
道路、樹々、山、そして風。月。つぎつぎに御縁ある人々の顔が浮かぶ。
人生の数々の出逢いの人びとが。

橋本市を過ぎ、運転手をも酔わせる20km程のグネグネの山道。
高野山にむけて、歩いたであろう、多くの人びとの想いがかぶさる。

敵も味方もなく、長い時間を人びとは高野にむけて歩いた。
恐ろしいほどの静寂が山中に横たわる。行き交う車も皆無。
戦国の武将たちや歴史上の英雄が死んだら
高野山へ葬ってくれと願ったその高野山。

弘法大師が開いたこの地に生かされた時間の
すべての想いを捨てて,敵、味方を越えてここに眠る人びと。
日本人って何だろうと不思議な国民性を想う。

走り続け、唱え続けて、7日午前3時20分。

浪切不動尊(空海が唐より持ち帰った仏像)を安置する南院前に到着。
不思議に疲れも眠気も感じない自分を知った。
素晴らしい体験だった。

午前6時、護摩焚きが始まる。きれいな炎が、
そして太鼓の音が参加者の眼と心に語りかける。

挙式は、Kさんの師匠M氏の仲立ちで行われた。
4畳半の小さな仏堂の中で、お二人は結婚の誓いを立てられた。
「お二人の行く末に幸いあれ」と念じていた。

高野山奥院を仏僧であるKさんが案内してくださった。
奥院の正面に向かって一番近いところ左側が天皇家ゆかりの御廟。

そして右側が近衛家の墓。その後方に、
何と元首相の池田勇人さんのお墓があった。

Kさんは言った。「池田さんは、大師信仰の深いお方だった。
病に冒されたとき、四国霊場八十八ヵ所を逆打ち(逆に巡ること)して、
病が治った。
そしてその後、常に数珠を
身につけながら仕事をし、首相にもなられたのです。」

昼の食事会の時刻となった。
料亭「花菱」の料理はとてもおいしかった。

またそして何より、集った御縁の人々の会話は天国の会食のようだった。
Kさんの師匠M氏は、来年より高野山の慣習によって
「身代大師」(弘法大師の身代り)を1年間お努めになる予定だとか。

M氏の書庫は、図書館のようだった。少し開いた扉から、
「小林秀雄全集」が微笑んでいた。

そんなM氏にたずねてみた。「今までで一番感じた方は誰ですか?」
M氏は、「それは、岡本太郎さんです。」と答えて、
「どこが感じたのですか?」の問いに、
「著者の紹介文を少し著書に書いてくださったので、
後日御礼を申し上げたら、ポカンとしていたからです。」(?)

こんなM氏はすべての話題を肩のこらないジョークでかわしながら、
雑談の中で多くの教えを下さった。

素晴らしい御庭と御堂。宿泊室。
そして密やかなおもてなしの心を感じさせる南院。

この日お祝いの気持ちからか、参加者の宿泊費一切を無料にされた
南院御住職Uさまの「慈」のこころに感じ。

新婦Nさんのご両親がすでにこの世にみえないことを案じ、
健在のご自分のご両親を式に呼ばなかったKさんの「悲」のやさしい想いを感じ。

「良かったね」「良かったね」を連発する参加者のYさんやIさんの「喜」の共感に歓び。

あるままに謙虚に今を生きる「捨」の「身代大師」M氏に学んだ一日であった。

「慈悲喜捨」Kさん、Nさんおめでとう。そして、ありがとうございます。

高野は歓びに満ちていた。

テネモスミーティング名古屋 1/25 その1

Yさん(男性):ユーチューブ好きです。クラリオン星の小三そうた君。
地球は四回目。実体験のお話で、目からうろこ。
宇宙人は全体の60%で地球人は40%。ユーチューブに出てから
リーディングの予約が700人となった。三重の子供。
地球での体験をするためにに来た。
感情レベルが11000/10000が地球の特徴。
学校では話さない。興味ある人は見てください。
有用に思う。

魂で話すので、交信している。
死ぬってリセット。
大半は生まれ変わり。神になる人もいる。
クラリオンが3 地球が3の割合で星に住んでいる。
総理大臣になるために活動している。
クラリオンでの8時間は地球の100年。

Oさん(男性):「美しき緑の星」という映画を見た。
どこかの星から来ている人の話。
出身が異なるので考え方が異なる。

Mさん(女性):イブに息子のためにクリスマス会。三連休の24日に
息子が発熱。次に娘がインフルに。呼びかけてもボーっとしているので、
インフル脳症の心配。年末から正月にかけて入院。

検査から付き添い、娘とずっと二人きりの時間。自身もインフル。
最初、相部屋。同室のマオちゃんが元気で、怖い怖いと叫ぶ。

お見舞いが多い。お母さんは妊娠7か月。マオちゃんはお母さんと
初めて離れてつらい。そのストレスでだれが来ても怖い、怖いの連発。

マオちゃんの状態が来る人によって変わる。父親のお母さんに
だけは「怖いんだね。。。」って言われておとなしくなった。
受けてもらえることで静かに。
現象は人の心を映すことの革新。

お父さんが年末年始より見守りが大変でボヤク。
目が離せない。
父の母に代わって落ち着いた。
同室で眠れない。
おばさんの時は静かで眠れた。
父が、母親がトイレに行ったので怒る。
父の母が落ち着いているので、父も落ち着いてきた。
マオちゃんの反応は人によって異なることが
わかってきた。

娘と息子の看病で、眠ったときに思い出したことがある。
16~7歳の女の子と弟が砂に埋もれて死んでいる。
自分の子供で死んでいる。
決意が生まれた。
戦いで死んだが、文明、民族のために出なく、
「地球を守るために生きたい」
そのことを思い出した。

とんだお正月。
初日の出が病室から見られてうれしかった。

伊路波いちばでテネモスのお仕事を手伝っている。
伝票が苦手。発送は幸せ。

          続く・・・

三重 女性 ~ヴィダウオーターソープ~

このたびは、ビダウォーターソープを購入させていただくことが出来て、
とてもうれしいです。ほんとうにありがとうございます。

先だって、他店様にて、
初めて、ビダウォーターソープに出会い、購入させていただきました。

ビダウォーターソープを購入させていただきましたきっかけは、
汚れだけを吸着してきれいにしてくれるということに、興味をもったからです。

私事ですが、私は、ずっと頭皮のニオイに悩んでいました。
私なりにですが、この悩みを解決するために、色々なシャンプーや洗い方を試してきました。
しかし、完全にニオイが取れず、ずっと悩んでいました。

そして、初めてこのビダウォーターソープを使用させていただきましたところ、
ほんとうに、汚れを落としてくれました。
あんなにゴシゴシ、一生懸命洗ってきたのに、なにか、いままでのシャンプーとは
違っていて、汚れを自然に出してくれているような感じでした。

自分では、洗いきれないところまでを洗ってきれいにしてくれました。

とても感動し、ほんとうにありがたかったです。
ほんとうにありがとうございました。

このビダウォーターソープをぜひ、いつもの洗髪に使わせていただきたく、
ネットで、大容量を探していました。

そして、伊路波いちば様のお店に巡り会うことができました。
ほんとうにありがとうございます。

随想 伊路波村から~日本人のこころ~ 041109

日本人のこころ ~五木寛之さんのお話から~

名古屋商工会議所創立120周年記念講演会。
作家の五木寛之さんが講演者だった。
500人の聴衆の前から3分の1程の真ん中に座った。
聴衆はほとんどが今を生きる経営者の男性の方たち。
後頭部がかなり薄くなっていて、まるでお月様がいっぱいのようだった。
チラホラと五木ファンの女性がみえる。
「蓮如」「大河の一滴」等で、現在話題の五木さん。
最近は、お寺とか、集会所でもお話しをされるらしい。
以前とはとても変化しているようだった。

演題は、「日本人のこころ」。近著と題名が同じだ。
四日市のUさんが、「五木さんのお話いいですよ。」と言ってみえた。
それだけに、久しぶりの講演会に心が躍っている。

お話しは、経済状況に苦しむ経営者という戦士にとって、
おそらく、ずっしりと重いものだったろう。
「暗愁」という明治以来、昭和初期の永井荷風まで、
頻繁にもてはやされたこの日本語。今は、死語となっている。

人は、誰でもがいいようのないやるせなさにいつか襲われる。
こつこつと働いて、2~3の工場を持つ立派な経営者。
美しい妻とかわいい子供たち。そして恵まれた生活と、
経営者としての自信に溢れている。何も不満がない。
「幸せだなあ俺は。」と日々思っていたこの経営者が
ある朝突然にこの「暗愁」という暗い虫に襲われる。

あんなに美しいと思っていた妻を見て、何故こんな女と一緒にいるんだろう。
子供たちなんかちっとも可愛くない。ウルサイだけだ。
この豊かさなんか一体何の意味があるんだ。

自分が信じて歩いてきた道のすべてのものが
意味なく思われるこの「暗い虫」。
人間はだれでもいつかはこの「暗い虫」に襲われる・・・。

ここまで聴いて、左斜め前の女性が泣き崩れた。
共感がこちらの胸にも伝わる。
まさに現状の人たちをやさしく包み込むかのような言葉だ。

韓国の言葉に、「恨息」(ハンスン)という言葉があるらしい。
「恨」とは、世にいう恨みという意味ではない。
それぞれの国のもつ歴史。そして、祖先のすべての想いが「恨」。
それをフーッと吐くため息。それが、「恨息」(ハンスン)。

「暗い虫」に襲われて、「暗愁」の気になったら、
何も思わず力を抜いて、「恨息」するがいい。
私たちには、誰でもそんな時があるのだから。
そんな時、もがくのはやめよう。と五木さんはおっしゃった。

日本は、現在のデフレも経済危機も同じようなことを歴史上で経験し、
いずれの時も乗り越えてきた。
ただ、歴史上経験のない現象が現在、ひとつあらわれている。
それは、年間3万3000人という自殺者がいるという事実だ。
交通事故死者10000人弱。
あの15年間におよぶベトナム戦争の米兵の死者数が、
5万人強。それに比べて、3万3000人という自殺者を何戦争と呼んだらいいのか。

五木さんの知人の若い方が、ある日五木邸を訪れた。
「先生。僕、いったいどうなるんだろう。今の社会はどうなるんだろう。」と語り、
東京の中央線での車中のできごとの話となった。

電車はゴトンという音をして、停車した。
しばらくして、車内アナウンス。
「事故のため、現在停車しておりますが、只今上半身を除去しました。
下半身の除去が済むまで、今しばらくお待ちください。」

アナウンスを聴いて、車内のほとんどの人が一斉に同じ行動をとった。
みんな腕時計をみたのである。
そういう自分も確かに腕時計をみていた。
あとで、そのことに気づいた。そして思った。
「俺はいったい何なんだ。自殺者のことを祈ることもなく。
日常の普通のこととして、みんなと同じように何ごともないような行動をとる。
この日本社会は何なんだ。日本人のこころはどこへいってしまったんだろう。」

若者の心はまだ救われるだろう。そして日本人のこころをこの彼が、
まだ持っていることに安らいだと五木さんは話された。

阪神大震災で日本人は物のはかなさを知った。
サリン事件で、宗教や心の脆さを知った。どちらにもいけない不安感の中、
世の中は「情報」という新しい夢を持った。

五木さんの語る「情報」とは決して世にいう計数、形、宣伝ではない。

それは情報のほんの一部にすぎない。

万葉時代。「情」という字を「こころ」と呼んだ。
新しい時代の「情報」とはすなわち、「情を報ずること」。
こころを伝えることだという。私たちは、こころを伝えあいながら、
新しい時代を切り開く時期に来ていると結ばれた。

思わず「そうだ!」と立ちそうになった自分がいた。
五木さんのお話を多くの方が聴くことができますように祈りを込めて。