随想 伊路波村から90~何処へ 020911

光を語ればすべては見えない。

私たちは見える所に生かされている。

ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。

あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。

アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。

私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。

明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。

今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。

三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。

ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。

意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。

過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。

限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。

一人しか,ひとつしか存在がないのです。

ジャストナウに救われて

六年前の5月のある日新聞の記事を家族で見ていた。

そこには子供たちと幼き頃ともに遊びに行った木曽駒の里の記事が載っていた。

開田高原。

馬房が解放されて、馬に直接触れることができると書いてあった。

もう肺の機能が低下して酸素を吸入しなければ辛い娘が言った。

[行きたい…]

明日はそれでも平日。

すぐ決断した。家内と娘と三人で行こうと。幼き頃訪ねた開田高原。

牧場で娘は馬に乗った。

アイスクリームもほうばった。とても美味しかった。

車で3時間。酸素ボンベを携帯しての旅。娘はやや辛そう。到着は3時頃。

馬房は閉まる直前。お世話の方は車椅子の娘を見て、尋常ではないことを一瞬で悟り、案内してくださった。

木曽駒に触らせてくださり、放牧の馬たちも見学させてくださった。

思い出のアイスクリームのお店で、再びアイスクリーム。

夕暮れ。牧場を後にした。

その一ヶ月後、娘は旅立った。

残された老夫婦は、思った。すぐに決断して牧場に行って本当にによかったと。

娘との最後の思い出でである。

すぐやることのありがたさは何にも替えがたいと、強く思う。

後悔がないから。

随想 伊路波村から91~感じるものこそ 030225

感じるものこそ 030225
「感じるものこそ大切です」

人生のあらゆるシーンを体験する私たち。
さまざまなことに心を動かされ、行動する。

仕事でのこと、集いでのこと、映画、演劇、コンサート。
そしてさまざまな方のお話。

感動が起きた時、人は行動に移す。
けれども感動がうすれるころ、人は離れる。
そして次のステージへ。

追いかけても追いかけても得がたいものは?
そして追いかけるほど得られないものは?
あらゆる感情や感覚を抜き超えたものは?

おそらくそれを体験した時、ごうごうとした光の中で
感謝がっぱい溢れ出すことだろう。

そしてそれからの人生は一変するのかもしれない。

「どこへ行くことも無い。汝の戸をしめて祈りなさい」

イエスはそう語った。
求めに求めてさまざまな場所に旅をし、
さまざまな人に逢う。

それが徒労だといいたいのだろうか。
感動もいのちの震えも感謝も、決して強制が
できるものではない。

「感じることこそ 大切です」

私たちの個性の旅は続いている。

随想 伊路波村から92~マジシャンヒロに見るもの

マジシャン ヒロに観るもの
「天才マジシャン・ヒロのスーパーストリートマジック」

上から階段をドタドタと降りてきて、
「ヒロがでてるよヒロが。!!」
息子が言った。
それでテレビのチャンネルを変えると、
ストリートマジシャン ヒロが電車の中で
空中に浮いて真横になっていた。

もう一人のマジシャンセロは足をつけたまま倒れては
そのまま手を使わずに起き上がっていたけれど、
それより凄い。

ここまでやっていいの。ってセンセーショナルだった。
再放送だったらしくて、検索にかけたら去年の11月の
あるブログにその番組のことが書いてあった。

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今日のテレ朝「ドスペ!」で天才マジシャン・ヒロが登場した。
私はヒロなる人物について全く知らない。
先入観なしにとりあえず番組を
見ることにした。(注:途中から見ました)
JAFのような車に同乗したヒロが、ガス欠で困ってるドライバーの前で、
「私がこの空のペットボトルをガソリンで満たします」と宣言。

そのドライバーの前で、空のペットボトルを片手でユラユラ揺らすと、
どこからかガソリンが湧いてきて、みるみる満たされていく。そのガソリンは
もちろん本物のガソリンだった。

しかし、この時は、「どうせ、何か見えない管をとおしてガソリンを陰から
注入したんだろ」と半信半疑だった。

場面は変わり、次はインロック( かぎを中にいれてドアロックしてしまう事)
の車の前に。ヒロは道具を使わずに手でキーを取り出すと言い出す。むろん、
車は一般ドライバーのもの。

ヒロはドアに手を当てたと思うと、ゆっくりとドアに指をめり込ませる。
徐々に手首全体、そして肘までドアに入れると、キーを引き抜き、そのまま
ゆっくりと手をドアから引き抜いた。
まるで水の中に手を突っ込んだようだった。
ドアにはうっすらと傷がある程度。
その傷も指でこするとたちまち消えてしまった。

このマジックが不思議なパワーによるものだとは思えない。
なにかすごい
トリックがあるに違いない。でも、ワケが分からん。
手をめり込ませてる間は、その周辺が窪んで柔らかくなってるようだった。
マジックの間はずっと手元をアップで映していたが、不審な様子はなかった。
100歩譲って、そのドライバーがサクラで、ドアにもすごい仕掛けがあったと
しても、ドアの状態が元に戻ったのを物理的に説明できない。

うーん、カメラをストップして、特撮のように撮ったのか?
その他にも、電車の中で重力を無視して空中浮揚したり、
体を回転させたりと
不可思議なマジックを連発。
こんな衝撃は以前、特番で見たマジシャン・セロ以来だ。
「毎日1分 芸能裏情報コラム」から
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このところからまだ凄い場面が最後にあった。
ある店舗のガラスでできた自動扉の前にひとだかり。
固定のあとの窓もみんなガラス製だ。

自動ドアは電源が入ってなくて人が近づいたが
開かない状態。
そのガラスのドアをヒロは通り抜けるという。(?)

緊張の瞬間。
ヒロは左手をスットガラスに貫通させた。
そして次第にからだもガラスをすり抜けていく。

完全に店舗の中に入ったヒロ。(ガラスの向こう側)
まるで水のカーテンを濡れもしないで通りぬけたかのようだ。
そして向こう側からスイッチを押して扉を開けた。
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この場面を見て、幾度も人をお連れしてお訪ねした、
長崎は川棚駅前のマジックカフェ「あんでるせん」に
初めて言った日にマスター久村さんの言った言葉を
思い出した。

これまではあんまり他人にはお話したことはないこと。
有名なミスターMさんが、あんでるせんを
訪れた日のこと。
1時間あまりのすべてのマジックが終了して、
Mさんは久村さんに質問した。

「あなたのマジックはだいたいわかりました。
ところであなたのマジックの原点はなんでしょうか。」

そう訊かれた久村さんは右腕を壁に貫通させて、
引き抜いた。
マリックさんは不思議な顔をして去ったという。
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未知能力。
久村さんはそう呼ぶ。
意識エネルギーとも、波動エネルギーとも呼ばれる

量子エネルギーは、原子転換さえ可能にするものなのだろうか。
ふしぎな行為を見知ることで私たちはこの世の実態に
せまれることができるのかも知れない。

生体の転換再生や存在の同時性(スーパーポジション)、
そしてパラレルワールド。

無限の世界はひとりひとりのものでもある。

古い在庫玄米とピッコロ

2011年8月16日に入れてあった
古い玄米です。
柿渋袋なので、虫が来ない。

しばらくこの玄米3合ずつを
一晩バンブーをかけて食べていました。
普通においしく柔らかい玄米でした。

ただ一晩バンブーをかけますと
不純物というか、ねちゃっとした泡がかなり
受けていた洗面にこぼれました。

ところがピッコロをしのばせて一か月。
三合すくうときにいやにさらさら感があるのです。
いままではなんとなく古い玄米特有の
ねっとり感がありましたから不思議でした。

そしていつものように一晩バンブーをかけました。
いつものねっとりとした泡がとても少なく、
そしてにおいもありません。

お味はおなじようにおいしいのですが、
なんだかそのまま新しい玄米のような感じです。

不思議。

随想 伊路波村から94~「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」 金城幸政さん

笑ってしまう面白い人です。
でも泣いてもしまいます。
その人金城 幸政さんのユーチューブです。

そして著書 「あなたの中の やんちゃな神様とつきあう方法」です。ここにいる大切なわけ、男女が何故わかりあえないのか、子供とどう接したらいいのか、ひとつの意識がこたえを生んでいます。

随想 伊路波村から93~進化?

唄の歌詞には旋律、
思い出には映像がセットでないと、
語っても伝わらない。

ましてやその時の感情の動きなど
他の人にわかるはずもない。
わからなくてもいいんだけれど。
魂魄にかかわることにすぎないが。

個々人の体験って何を意味しているんだろう。
それとも何の意味もなくて、ただ体験する人が
勝手に意味を作り出したり、何も感じなかったり
するだけだろうか。

聞いたこともない話に飛び上がり、
感動しすぐ実践行動にうつす人がいる。
そんな人をみて以前の自分をみるように、
ほほえましく感じることもある。

終わったことってあるんだろうか。
人はさまざまな体験をし、
一生を一事に費やす人もあれば、
幾度もその一事を変更し、
生きていく人もある。

決まっているんだろうか。
霊での響きは進化ときいた。
進化してどうなるんだろう。

人生は「選択」か「運命」かでの
エネルギーは「選択」が優るよう。
では「偶然」か「必然」かではどうだろう。
偶然はないって選択したほうが、
人生は輝きそう。

そのほうが対象をすべて感謝にもっていけるから。
何がおきても感謝しよう。
おきることの選択を何度も試されている。
時にはそんな気さえする。

「まだ そんなこと?」ってやさしく笑われそう。
変化しないことを感謝することもあれば、
変化していくことに感謝することもある。
進化よりも変化。
退化も変化。
みんな感謝の対象だろうか。

マジシャンセロは飛ぶ。
肉体を物体が抜ける。
妙なる振動は物体をとらえない。

肉体の苦痛は意識の変化を促し、
感動感激は細胞をみずみずしくする。

だが霊なる響きは、知覚するものすべてを消し、
大なる全体の溢れ、こぼれ、超巨大な実態の
宇宙感、絶頂幸福感を意識にもたらすのか。

進化しなくても、すでにあるものだろうか。

ひとしく すべてのヒトに。