神の使者から奇跡の道へ その112~世界はどのように終わるのか
「世界はどのように終わるのか」
始まってもいないのに、真の終わりはあり得ませんね。
世界は、それが始まったときと同じく、
幻想の中で終わるのでしょうか。
ですが、その結末は慈悲という幻想のようです。
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神の使者から奇跡の道へ その113~最後には一人ひとりが審判されるのか
「最後には一人ひとりが審判されるのか」
まさしく!その通りのようですね。
しかし、もはや恐れと結びつけなくなるときまで
それは訪れませんね。
誰もがそれを歓迎するようになるとき、それが彼に
与えられるのでしょうか。
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神の使者から奇跡の道へ その114~どのように一日をすごすべきか
「どのように一日をすごすべきか」
目が覚めたあと、できる限り早いうちに静かな時間を持ち、
それがむつかしいと感じ始めた後も、1~2分は続けてみる。
その難しさは減少し、消えてしまうかもしれません。
もしそうならなければ、その時がやめるべきときかも。
夜の時間も同じです。
確信しているべきことは、成功は自分がもたらすのではなく、
自分がそれを呼び求めるときはいつでも、どこでも、
どんな状況でも、与えられるということです。
「どのように一日をすごすべきか」
八(イヤー)
「八雲立つ出雲やゑがきつま隠(ご)みにやゑがきつくるそのやゑがきを」
日本最古の短歌と呼ばれるこのうたはあまりに有名ですね。
スサノウが結婚の時に作ったとか。
わかりませんが。
八ばっかり。
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ただ一つのものを拝せよとは
神の使者から奇跡の道へを突き動かされるままに
書き続けています。
ここにきてさまざまな感想が届いています。
「アメージングジャーニー」は奇跡の意味を
告げています。
そして誰もが神の使者になれることも。
「赦し」が大きなカギであることも。
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神の使者から奇跡の道へ その115~魔術的想念にどう対処すべきか
「魔術的想念にどう対処すべきか」
このことについての最初の責任は、攻撃しないことですね。
もし一つの魔術的な考えが何らかの形の怒りを
呼ぶとしたら、罪を信じる信念を強めてしまって、
自分自身に有罪宣告をしたということにありますから。
そして、ゆううつ、苦痛、恐れ、災禍が自分のもとに
訪れることを自分で求めてしまったということですね。
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神の使者から奇跡の道へ その116~訂正はどのようにして行われるのか
「訂正はどのようにして行われるのか」
実相は不変であって、魔術的想念は単なる幻想でしょうか。
主要な学びは、魔術的な想念に対して、まったく怒りを
抱かずに反応する方法を学ぶことですね。
怒りは、ただ「罪悪は実在する!」と金切り声を上げますね。
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