神の使者から奇跡の道へ その129~智識

あなたの見ている世界は、世界のように見える
幻想ですね。神は永遠なるものを創造したのですから。
この世界は永遠ではありえず、常に変化するものです。

そして肉体の眼は実相世界(真実の世界)を見ることは
できないようです。

赦し、救済、贖罪、真の知覚などは一つの始まりに
すぎません。虚無から生じた世界が虚無の中へと
舞い戻るとき、時間も永久に終わりを告げます。

赦しは肉体を見ないので、分離は不可能だと証明します。

神の使者から奇跡の道へ その130~イエス

神は必要というものを知らないので、助けることは
しないのでしょう。それでも、神の子が自分の空想が真実だと
信じている間は、神の子のためにすべての助け主たちを
創造するようです。
あなたを家まで連れ帰ってくれる、彼らのことを
神に感謝ですね。

イエスという名は、一人の人間でありますから、
自分のすべての兄弟たちのうちにキリストの顔を
見て、神を思い出したものの名前でしょうか。

イエスはキリストでしょうか。
もちろんそうですね。

そしてあなたもそうです。

イエスは聖霊の顕現。

神の使者から奇跡の道へ その131~聖霊

ひとたびこの旅が始まればその終わりは確実だと
言われています。

助けを必要としている者はみな、自分自身を
攻撃しています。

他者のために祈る必要がなぜあるのでしょうか。
それはあなたが自分の罪悪感(分離感)の投影を
兄弟から取り去るため、および、自分を傷つけているのは
彼ではないということを認識できるようになるための
手段にすぎませんね。

ものごとや地位や人間の愛や、その他あらゆる種類の
外的な「贈り物」を求める祈りは、常に、牢番を
仕立て上げて罪悪感(分離感)から隠れるために
作り出されているようですね。

あなたとわたしは連れ立って進みます。
私はあなたがいなければ進むことができません。
あなたはわたしの一部だからです。

祈りは、真の謙遜への道。
謙遜は平安を運んできます。

神の使者から奇跡の道へ その132~赦し

赦しは癒しの同盟者。
両者が揃うことが必要とされています。

それは他者の中においてのみ、自分自身を赦すことが
できるからですね。
邪悪なのは常に他人であるように見え、その他人の罪の中で、
傷ついている者はあなた。
そうならばあなたはすべての者の奴隷ということですね。
何故なら、相手が行うことが、あなたの運命や感情を決め、
絶望か希望か、惨めさか、喜びかを決めることになるからでしょうか。

他者を赦そうとする者が、自分のほうが善良だと
主張することはしませんね。
他人の悪意に対して、寛容であり、沈黙と優しい
微笑みだけをもって応じるというのは親切なことですね。

神はただ与えるのみ。

神の使者から奇跡の道へ その133~癒し

神は扉の傍らに立っており、赦しはその扉を開く
唯一の鍵でしょうか。

癒しとは、赦しの強さのしるし、またはその象徴ですね。

病気とは、赦そうとしない想念の証でしょうか。
肉体を癒すということは不可能ですね。

そして肉体を生じさせた原因は、神の子が抱いた
赦そうとしない思いそのもの。
天国には赦すものなどありませんね。

死は報奨であって、決して処罰ではないようです。

赦しのみが、あなたが与え、また受け取れる
唯一の贈り物。
偽りの癒しは肉体の治癒の上に成り立っていますが、
それは依然として病の原因を変えずにおくので、
病の再発は可能となります。

Iさん懐古 その1~相手の意識圧を上げることこそ仕事

この9月から言葉を残して意識の延長を!
という内側からの言葉に突き動かされて
毎日毎日湧き上がるままに書き留めさせていただく
作業が続いています。

全部が自分で、自分は実は宇宙だとしたら、
どこからの言葉も意識もそれは
宇宙から、全体からとなります。
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