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イギリスでは1746年4月のカロデンの戦いで、正統なスチュアート王朝に戻そうと活動していたジャコバイトが鎮圧され、イギリスは奥の院のものと確定した。その半世紀前の1698年には、彼らは彼らの民間銀行であるイングランド銀行の設立が許され、彼らはイギリスの通貨発行権を手にしていた。従って、この時は既にイギリスは奥の院の総本部となっていた。
この2年前の1744年2月23日、ドイツでマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」の子として誕生した。ホフ・ユーデンは王侯貴族の財産を管理する金融屋である。ロスチャイルド家はヘッセン侯国の宮廷御用商人として出発している。
1750年、マイヤーの父・アムシェル・モーゼズ・バウワーはフランクフルトに定住する。そして1755年10月にそこで没した。この時、息子のアムシェル・マイヤーはまだ11歳であった。
この年、イングランド銀行がイギリスの長期国債の購入を独占する。そしてその国債を準備金としてポンドの通貨発行を独占した。つまりポンドの発行権を独占した。
カッツェンシュタインは『ユダヤの歴史』で、「1750年にはアムステルダム及びロンドンの両証券取引所はユダヤ人が牛耳っていた」と書いている。この時、ユダヤ金融資本(奥の院)が既にイギリスとオランダの経済を牛耳っていたと言える。