致知出版社の「一日一話 読めば心が熱くなる・・」 その7~戦艦大和の上官がくれた命

「戦艦大和の上官がくれた命」

八杉康夫 戦艦大和語り部

 「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。
軍には「逃げる」という言葉はありませんが、
これが事実上「逃げろ」と言う意味です。
すでに大和は五十度ほど傾いていましたが、
この時初めて、「大和は沈没するのか」と
思いました。それまでは本当に「不沈戦艦」だと
思っていたのです。

 もう海に飛び込むしかない。そう思った時、
衝撃的な光景を目の当たりにしました。
私が仕えていた少尉が日本刀を抜いたかと思うと、
自分の腹を掻っ捌いたのです。
吹き出す鮮血を前に、私は凍りついてしまいました。

 船はますます傾斜がきつくなっていきました。
九十度近く傾いた時、私はようやく海へ飛び込みました。
飛び込んだのも束の間、沈む大和が生み出す渦の中へ
巻き込まれてしまいました。
その時、私の頭によぎったのは海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。
海軍に入ってからというもの、私たちが教わったのは、
ひたすら「生きる」ことでした。
海で溺れた時、どうしても苦しかったら水を飲め。
漂流した時は体力を消耗していまうから
泳いではならない・・・・。
陸軍は違ったのかもしれませんが、海軍では
「お国のために死ね、天皇陛下のために死ね」
などとは言われたことは一度もありません。
ひたすら「生きること、生き延びること」を
教わったのです。

 だからこの時も海の渦に巻き込まれた時の
対処法を思い返し、実践しました。しかしどんどん
巻き込まれ、あまりの水圧と酸欠で次策に意識が
薄れていきます。その時ド~ンという轟音とともに
オレンジ色の閃光が走りました。戦艦大和が大爆破
したのです。そこで私の記憶はなくなりました。

 気づいたら私の体は水面に浮き上がっていました。
幸運にも、爆発の影響で水面に押し出されたようです。
しかし、一所懸命泳ぐものの、次第に力尽きてきて、
重油まみれの海水を飲み込んでしまいました。
「助けてくれ!」と叫んだと同時に、何とも言えない
恥ずかしさが込みあげてきました。この期に及んで
情けない、誰にも聞かれなければいいが・・・。

 すると、すぐ後ろに川崎勝巳高射長がいらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と怒られるではないか。
そう思って身構える私に、彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」と言って、
自分が掴まっていた丸太を押し出しました。
そしてなおもこう言ったのです。
「もう大丈夫だ。おまえは若いんだから、頑張って生きろ」

 四時間に及ぶ地獄の漂流後、駆逐艦が救助を始めると、
川崎高射長はそれに背を向けて、
大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。

高射長は大和を空から守る最高責任者でした。
大和を守れなかったという思いから、死を以て
責任を取られたのでしょう。高射長が私にくださったのは、
浮の丸太ではなく、彼の命そのものだったのです。