日曜日

皆さまへ

自分の人生を幼いころから書き綴った
ある道のり」でした。

今読んでも,何と激しい人生だったか、
よく乗りきって来られたと感慨でいっぱいになります。

人生で若いころから生活の中心となった実の母と
長女のことがいつも心に浮かびます。

昨土曜日、高蔵寺にある実の母、父、兄の
お墓に詣でました。
墓標には 母63歳 父72歳 兄77歳とありました。

見上げれば初夏の青い空、強烈な日差し、浮かぶ雲。
長く間があったことをお詫びしました。

昨夜は10時間眠りました。
深い深い眠りでした。

「ある道のり」のあと友人のお勧めもあって、
現在まで伊路波村のブログで書き留めさせていただいた
2000ほどの記事の一部を「随想 伊路波村から」という
ジャンルにまとめさせていただきました。

人生上お会いできた方とのエピソード。
仲間との旅の出来事。
魂を震わす出会いや場所。

自分という人間が何を考え、何を守ってきたのか。
そしてどこへ行こうとしているのか。
人生の終盤でそれを整理する活動のように思えました。

もちろん心の中だけに収め、決して外側には
出すことができないたくさんの汚れた心があります。
それはそのまま自分にだけには語りかけ、多くの方へ
お許しを乞いたいと思わせていただきます。

きれいなことだけでは決して済まない人の一生です。
詫びても詫びても許されない人生です。

20年におよぶ飯島さんとのご縁は壮年期の
大部分を占めています。
真理を求める強い心が、飯島さんというお人を
現象として現わしてくださったものと理解し、
感謝でいっぱいです。

出会いを通じて真理の一部をお伝えできればと
突然繋がってきたこと」や
真理の光」が
言葉として浮かび上がってまいりました。

またここへ導かれた道には、多くの人との出会いや
出来事があって、そのようなことがあってこそ
導かれた人生とすべての方々に感謝しています。
この道へ」におおまかな道が示されました。

自分には自分のこと以外の事柄を言葉にすることは
不遜に感じます。自分の周りで起きたこと、体験による理解。
時や空間を超越する魂の感慨。
そして震え。

幼児期の少しのお時間を除いては、
人はずっとマスク(仮面)をしています。
仮面なしで過ごすと生きにくい世となっているようです。

でもなるべく仮面をしないで生きよう、
自分に嘘をつかないように生きていこうと
懸命に歩いてまいりました。

そして今というところにいます。

御縁をいただき、あらためて感謝申し上げます。

ありがとうございます。