テネモス通信 vol.40

みなさん、こんにちは。

今日のメルマガのはじまりは、昨年末の飯島さんと私の会話です。

飯島さん)転換するということは正常に戻るということだけど、今の経済のしくみは全部終わるということ、金融とか株とか、

私) マネーゲーム・・
飯島さん) 違うよ。食物が主体になってくる。食物があるかないか。食物がある。病気はない。健康だからゲームができる。しかし、食物がなくなったり、病気になったり、汚染がでたりしたらゲームがなりたたないんだよ。めしを食わないで、株でもやってるのかと。この意味わかる?

私) はい

飯島さん) どうわかるの?

私)食べ物も気候変動とかでとれなくなってきているし・・

飯島さん)違うよ。ぜんぜんわかっていない。ぜんぜん一本化になっていない。あんた言ってるのは分離感。食糧問題と株とは別個だとおもっているんだよ。今の言い方からしたって。

ものは食べなかったら、人間動けないんだよ。食べ物がなくなってきた上での、株券なのかと言いたいんだよ。腹が減っては戦はできぬというだろ。お前は、食物の世界、株の世界、金融の世界、全部セパレートで考えている。1個になっていないんだよ。病院ですら、腹が減ったら成り立たないんだよ。食べ物が基本なんだよ。

株を動かしている人に、めしの心配している人いるの?生産性が下がったと、めしの心配をしている人がいるの?誰もいない。株ゲームやっているんだから。

めしがなくなったら、株ゲームですらできないよ。戦争ごっこもできないよ。めしがないんだから。めしのこと誰一人いってこないんだから。TPPとか物があるから動かそうとするけど、物がなかったらなりたたない。また外国に委ねたら、日本なんてすぐ倒産。日本の国民が腹へってるのに、株がなりたつのかよ。そんなのあたりまえと思うよ。全体からみると終わっちゃうじゃない。全部、めしでなりたっているんだよ。

車はガソリンがなければ動かないけど、人間はめしなければ動かないんだよ。人間が車を運転するんであって、ガソリンとめしはどっちが重要かといってるんだよ。オイルの相場が上がったり下がったり、そんなことよりも大豆がどういった状態なのか。考えたことあるんだろうか。

肉の状態とか、野菜の状態とか。生産性だよ。世界のめしは足りてんのか。大変な問題だよ。めしがなくって。あるところにはあったって、ないところにはない。金融の格差のように、めしの格差もあるんだよ。難民なんか一番いい例。食物なんかないよ。みんな食いもんのために動いているよ。

食べ物でみんなけんかするんだよ。戦争はそう。食いぶちっていうんだから。昔から日本も年貢というのは、米とか味噌とか食物なんだよ。野菜はその時期時期とれたものだけど、米は年間1回か2回しかとれないけど、年1回とって、まかなう。今、米があまっているなんてとんでもない。あっというまになくなるよ。

コンビニに食べ物がいっぱいあるからいいと思っている。しかしめしがないということはお菓子もない。これが目の前にきている。昔の戦後だよ。米をもとめて田舎に行ったり・・国のいうとおりやっていたら餓死したんだよ。闇米を持っている人は伸びた。昔から国のいうとおりやっていたら死んじゃうんだよ。なぜかわかる?

私)国は生産性のこと考えていないからですか?

飯島さん)違うよ。もっと根本があるんだよ。ぜんぜん国には問題ないんだよ。国民に問題があるんだよ。

私)国に頼ろうと思っているからですか?

飯島さん)頼っている気持ち、頼っている心が倒産なんだよ。

~ある日の会話終わり~

飯島さんは、一人一人が自立し、共存共栄した社会こそが地上天国だと言っていました。そして、埼玉のテネモスの敷地では、ナチュラルな考えをベースに物づくりをする人、ナチュラルな商品を販売するショップ、クリニック、飲食店(うどん屋)が集まってきていました。

飯島さんは自然の法則について講演を行い、考えに共鳴するアーティストの方々のライブを行っていました。まだまだ、みんなが共存共栄する地上天国というのには程遠いですが、飯島さんは、こういう風に作っていくんだよという見本を実際に見せてくれていたのだと思います。

話は変わりますが、個人的に先週末に宮古島に行ってきました。飯島さんが亡くなる前から予定していました。心がふさぎこんでいて、とても行く気にはなれませんでした。また、行っても、心がおちつかない状態でした。

宮古島には、自然が教える生命研究会に昨年末から参加してくださっていたT夫妻が農業を営んでいます。T夫妻は、2月20日21日に行われた生命研究会にも参加されていました。その時、勉強会で学んだことを応用して作ったインゲン豆を3月に初出荷するということを聞いていました。

出荷する箱に「自然が教える農法」というシールを作ってよいか聞かれました。飯島さんに言ったところ、もちろんいいよ。と大きく頷いていました。

飯島さんが亡くなった後、インゲン豆について連絡が途絶えていました。しかし、ずっと気になっていたので、宮古島から帰る直前に売ってるかもしれないと、あるスーパーに寄ってみました。すると・・T夫妻が目の前にいたのです。

インゲン豆は、翌日から出荷するということで、今日はお店には売っていないということでした。T夫妻から、畑にきますか?と声をかけていただき、直接畑から採っていただいたインゲン豆をいただきました。

T夫妻は、自然が教える農法だけを忠実に、作ったとおっしゃっていました。毎日、バンブーをかけて作った液肥をかけていたそうです。ハウスの中は、屋久島の大自然の中のような清浄で、何ともいえないおだやかで、ここにずっといて、休んでいたいと思えるような空間でした。T夫妻が大事に愛情をこめて農業を行っている、その心が伝わってきました。靴をとおして感じる土の感触も、なんだか土を構成する微生物たちを踏んだら起こしてしまうのではないかと思うくらいの土との一体感を感じました。

帰って、インゲン豆を1分ほど塩茹でしていただきました。何これ!と食べた瞬間元気が出てきました。優しくも力強い甘み。これまで感じたことのないシャキシャキとした食感、このように愛情こめてナチュラルな方法で作られた食べ物は、少量をいただくだけで、満足します。

これこそ薬だと思いました。

飯島さんは本来、農薬も肥料も一緒だと言っていました。そうだとすると、食べ物と薬も一緒のはずです。飯島さんは、農業が一番大事と言っていました。宮古島での必然のT夫妻との出会いは、飯島さんのプレゼント、農家に生まれた飯島さんの農業に対する思いの現れだという気がしました。沖縄で行っていた自然が教える生命研究会、いったんピリオドが打たれましたが、違う形で広がっていけばと思っています。