喜寿の集いで共にお祝いしていただいた金沢の
Yさんから突然に手紙が届きました。
令和6年9月のことです。
それからも二度ほどの手紙が届いています。
Yさんとはもう30年近いお付き合い。
最初は確か政木和三先生の講演会でした。
今は名古屋駅裏の南にあるビルが昔は服部ビルといって、
その8階に事務所を構える故Sさんの主催でした。
毎月一回長い期間これも今はもうないのですが、
毎日ビルの大ホールでの開催でした。
金沢のYさんは人生の真理を求める真摯な方です。
始めてお会いした日の翌日、一緒に神戸三田にある
鏑射寺に連れてってくださいと懇願され同行します。
当時現代の空海と言われた和尚様の中村公隆様に
お会いするのが目的です。
政木先生の師である、先生よりお若い中村和尚様でしたが
その力はすさまじく、神戸の震災の前日には神戸在住の
檀家の全員の方々に「今夜中に神戸を離れなさい」と
お電話されました。
お陰で檀家の方はお一人も怪我がないことになったのです。
政木先生は言わずと知れたほぼ超能力者で発明家でもあります。
空中から仏像が出現したり、ご自分が倉庫の二階の荷物を
挙げる空いた場所から落下され一階に落ちる直前に二階まで
宙を飛んで戻るような体験もされました。
数々の発明家で、特に自動扉の発明は有名ですね。
お二人ともに故人となっています。
主催者の服部ビルのSさんを初訪問した日、びっしりとある
本棚の本の中から3冊の本を勧められます。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」
「あるヨギの自叙伝」バラマハンサ ヨガナンダ
「ミュータントメッセージ」
の三冊です。
いずれもまだ精神的に幼い自分にとってはとても
信じられない驚くような内容だったことを覚えています。
さて丁度その後青山圭秀さん著「理性のゆらぎ」が大反響、
また「アガスティアの葉」などからインドのサイババさんが
知られるようになりました。
空中から聖灰(ビブーティー)や指輪などを出されることで
有名になりました。
ここで金沢のYさんのことです。
Yさんはそのころ精神の探究や真理の探究にとても熱心に
なってみえて、最初の手紙はご自分の若き日の生活のこと
また事件のことを書き留めて送ってみえました。
そして次の手紙では1週間ほどのサイババを訪ねる旅の
詳細です。そこではご自分がサイババに手紙を渡した事、
多量のビブーティーの袋をサイババに賜ったことなどが
記されていました。
こちらとしてはサイババさんにもアガスティアの葉にも
何も興味なくそのようなことは特に驚くことでもなく
普通に覚者ならできるのだろうと、三冊の本の読後であったこともあって
何の感慨もないままでありました。
しかしその後のメールが決定的に次への扉を開くことに
なっていくのです。。
つづく。。