人生がお約束の連続だとすると、目前に起きる
数々の出来事はすべてプレゼントと捉えることが
できます。
それがどのようにつらいことでも、体験体感が
プレゼントとしてもたらされます。
自らの創造した仮想現実であっても、その時
心が感じる意識の変化は永遠です。
その意識の底の底から湧き上がるなんの感情や
判断もなく訪れる霊性の感応や震えは人生の
宝物と思えます。
歴史の学びとか知識では得ることが出来ないもの。
この30年間にこの国や世界のいくつかの体験や
空間から与えられた霊性の響きから、自分流の
いのちの流れを振り返ります。
私たちが知っている歴史とはまったくかけ離れています。
独り言をお読みくださって、何かを感じていただければ
とてもうれしく存じます。
上海の「玉仏寺」でのミャンマーから贈られた
白ヒスイの「釈迦座像」を見た瞬間から、
感応の旅は始まっています。
「勝手な世界のものがたり」をどうぞお読みください。
令和5年11月27日の朝、メール発信。
伊勢ー高野-剣山そして
剣山-伊弉諾神宮ー石上神社ー神戸再度山大龍寺の
レイラインの最終である石上神社と大龍寺の訪問を
目的として参加の方々を募りました。
翌朝5時の出発にも拘わらず、名古屋3名
三重1名金沢1名、神戸1名の計6名での
日帰り旅となりました。
集合の地は神戸大橋がみえる淡路サービスエリア。
午前8時集合です。
昨年までにその他のレイラインの地点は訪問済み。
昨年7月17日の剣山ではリフトの上からの写真が
霊性の響きと共にイザヤのお迎えがあったかのようです。
このイザヤはおそらくレビ族の三代目イザヤかも。
40日間の大雨大洪水のあとアララト山に着いた
ノアたちのその日は7月17日で京都の祇園まつりの
日でもあります。
古代イスラエルの民は、
ノアーアブラハムーイサクーヤコブーサウルーダビデとなり
ダビデの時代に北10部族と南の2部族にイスラエルは分裂。
次の栄華を極めたソロモン王の時代に滅亡します。
前722年にイスラエルは北と南に分裂。
アッシリア捕囚(シリア)の前に北の10部族は世界中に散っていきます。
一方前597年には南2部族(ユダ、ベニヤミン)がバビロニア捕囚となります。その後
前538年バビロニアはペルシャに滅ぼされます。
南2部族の4万人あまりはイスラエルに戻ります。
彼らは一晩にしてユダヤ教に改宗させられていて
魔教を習得しています。
前716年北の10部族がアッシリアに捕囚となります。
このことを察知したイザヤは南2部族もいずれはバビロニア(イラク)に
捕囚となるとの預言を知り、
ボリビア部族に教わった
葦舟の大船団で海を東へ東へと航海します。
「シオン 約束の地へ」の船旅です。
イザヤ王はレビ族の王で南ユダヤの部族ですが
2部族(ユダ、ベニヤミン)の中には入っていない祭祀の部族なのです。
イザヤを慕う者たちは第二第三のイザヤを名乗り
東へ東へと移動し淡路島の東の小さな島、沼島に到着。
もちろん古代イスラエルの至宝であるマンナの壷、
アーロンの杖、モーセの十戒石を携えて。
これは契約の箱といわれるものに納められています。
現在でも7月17日は剣山のお祭りの日です、
現在はその日に近い日曜日に実施されるようです。
麓から地元民が宝を荷って剣山に登り、頂上にて
神事が行われています。
またその日は京都の祇園まつりの日でもあります。
これはシオンまつりなのでしょうか?
イスラエルの国章と京都市の市章は同じダビデ紋です。
何故?
令和4年7月17日、頂上にて。
1995年から幾度もこの剣山を訪れるとき
必ず霊性の感応があります。
歴史のことはいつでも時の権力者の都合で記されますが、
現在まで残る風習とか、人間がその場に置いて感応する
霊性の響きは時や空間を越えた真実を伝え、その感応は
決して作為で作れるものではないので、
それだけを頼りとして何らかの証にはなるのでしょうか。
イザナギとはヘブライ語でイザヤの王子のことです。
すなわち淡路の
イザナギ神宮はイザヤ神宮となるのでしょう。
イザヤたちは沼島から淡路島へと上陸。
淡路島の沿岸沿い他に22の遺跡を建立しています。
その最大の遺跡が現在ホテルニューアワジさんの
「夢泉景」にあるものです。
三種の神器はその後、ゆずるは神社ー四国のくりしど(キリスト)神社
そして剣山へ移動されたと聞いています。
1995年には親子二代にわたって三種の神器を
追いかけた剣山顕彰学会会長の高根三教さんと
剣山に登りました。
その時に初めて霊性の響きの感応がありました。
高根さんはある程度神器のある場所の特定はされ、また1500メートルも
突き進み、50体のミイラとか遺物を発見していますが、
三種の神器の発見に到らず他界されました。
その発掘の権利をある方に譲ってからのことでした。
古代イスラエルの王モーセロミュロスがエジプトから
イスラエルの奴隷と共に約束の地カナンを目指して
40年間を放浪したことは史実にあります。
そしてネボ山というところでその高台からカナンの地を指さして
時代のリーダーであるヨシュアに告げます。
「ヨシュアよあれがカナンの地だ。
これからは汝が人々を導くのだ
私はここまでだ。一緒には行けない」
そう言ってモーセは姿を消します。
以来モーセの墓は見つかっていません。
その地ネボ山でもやはり感応をいただきました。
イスラエルの旅の初めからこの地のことは分かっていた
自分を見ました。同行の奴隷だったのかもしれません(笑)
実はやはりご縁の深い金沢能登羽咋にある「モーセの墓」の
近くにあるモーセたちが暮らしたとされる「坊屋敷跡」でも
霊的な感応がありました。
ここは戦後マッカーサーたちが調査に入った場所でもあるのです。
さて空海です。。
つづく