再録 「竹のものがたり」 その13~愛媛大洲市肱川町への旅 1

令和3年5月1日、名古屋を息子とIさんと
連れ立って、車で650キロの旅に
午前五時半、旅立ちました。

大洲肱川町大谷のクマちゃんの炭焼き現場が
目的地です。

「車で行きます。
どこかで泊まりますので、ご心配なさらないように」
とのこちらからの申し出にクマちゃんは
「そんなこと言わないで家に泊まってください。
3人は泊まれますので」

暖かなお申し出にあまえて、午後2時を目標に
一路淡路の瀬戸大橋を目指します。

順調に車は走り、早くも12時30分には
大洲市内にかかりました。

少し早いので、今回の第二の目的である中江藤樹の
住んでいた場所を訪問することにしました。

その場所は大洲高校の敷地内にあるのでした。

大洲高校の来客用の駐車場所に車を停めて、
職員室に来意を告げにIさんに行っていただきました。
ところが当日は係の先生が不在ということで、
お庭までは入れますが、家屋の中は入れません
とのこと。

校舎の脇に立つ中江藤樹の家。
そこに至る途中に池があり、藤樹書院の前の
小川と同じ鯉がきれいな姿を見せていました。

家屋はもちろん400年前ですから、
建て直したもの。
ただ土塀は当時の物のように感じられました。

27歳までここに住み、歩いてすぐの大洲城に
通った藤樹の家。

すれ違う生徒さんは皆、礼儀正しく挨拶されます。
そして校内はとてもきれいです。

門をくぐる前になぜか言葉が口をついて
出てきて、同行の二人に語りかけていました。

「中江藤樹は聖人といわれて、キリストみたいな人だけど、
一つだけ強烈に譲れない心を持っていたのね。

ここの門の前である藩の武士がまじめな藤樹の
普段の聖人君主のような態度を揶揄して
夜この門の前で
「孔子どの、孔子どの」と叫ぶわけ・・・。

その声に藤樹は精神が錯乱するほど、
怯えた。そして怒りに震えて何としても
その武士をやりこめたいと願った・・・。

そのことが藤樹の真摯な心をかき乱し
そのことだけは許せないと興奮した」

そう言葉を継ぎながら急に涙が出て来たのです。

きっと二人は驚いたことでしょう。

藤樹先生が来た・・・。
正直そう思いました。

暖かな、それでいて激しい心。
そしてわかってくれるのかとの、覆いかぶさるような
想念が漂ったのです。

しばらく滞在し、職員室に皆さんでお礼に
伺い高校を辞去しました。

続いて、近くにのぞめる大洲城にも行こう!と
なりました。

藤樹が毎日歩いたであろう城への道を
踏みしめました。

城の下には、くねくねと曲がっている肱川が
みえています。肱川おろしで有名な川霧の
きれいな川です。

昼食をとるために、おいしいお店をお聞きし、
徒歩で「油屋」さんというお店に向かいました。
名物鯛の卵かけごはんです。

ほんとうに大洲市内の駐車場も道路もすべて
すがすがしいほどにきれいなのです。
郷土のほこり中江藤樹の精神がここにも
残されているかのようでした。

食事が済んだらすでに1時半です。

急がなくてはと出発しましたが、予想に反し
肱川町大谷のクマちゃんの家までかなり
かかりそう。

結局大谷到着は3時過ぎとなってしまいました。

それから御在所という霊山への登山が
始まるのでした。

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