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今から77年前の今日8時、奥の院・ディープステートは、広島市にウラン型核爆弾を投下し、一瞬にして10万人、その後数ヶ月して更におよそ10万人の市民を焼き殺した。もちろん兵士だけでなく、女子供も含めた一般市民を焼き殺し、生存者はその後原爆症で悩み続けて死んでいった。
この大虐殺は、先の大戦・大東亜戦争末期に、これを良い機会と捉えて、奥の院・ディープステートが引き起こした人類史上最大の大虐殺であった。先の大戦とは全く無関係に、これを好機ととらえて犯した大虐殺であり、目的は日本人大虐殺と、新兵器の人体実験であった。戦争の勝敗とは全く関係ない。トルーマン大統領は直ぐに「軍事都市広島を叩いた」と発表した。これが嘘であることは誰にでも分かる。
1945年8月6日、核爆弾を積んだB29「エノラゲイ」(天皇を葬れの意)は広島上空に8時に到着した。しかし、すぐには投下せずに、そのまま東に旋回し、高松市から徳島市の上空当たりまで飛行を続け、そこからまたUターンし、広島に向かって飛行し、8時15分に投下した。
広島では8時前に敵機襲来を察知し、広島市民に対し空襲警報を発令した。市民は全員防空壕に避難した。ところが敵機は東へ去ったので、空襲警報は解除された。そこで市民は防空壕から出て、勤めや学校へと出かける準備を始めた。ちょうどその時、核爆弾が投下され、被害は2倍・3倍になったと言われている。防空壕に入っていれば直接光を浴びないので、被害は半分以下で済んだ。
これはすなわち、出来るだけ多くの人を殺害するために仕組んだ作戦であった。それは後日、日本陸軍高射砲隊の某氏が「あのときに打ち落として置けば良かった」と言う慚愧の念をある雑誌に書いていた。広島市はまだ空襲を受けていなかったので、高射砲隊は健在だった。
また、広島市上空を旋回し東に向かった「エノラゲイ」は、その後高松でも徳島でも観測され、記録に残されている。この事実を、その後あるブログに書いたことがあり、その時、そのブログの常習者尾形某なる人物が、「それは偵察に来たのである」と自信ありげに書いていた。調べもしないで、いい加減なことを書いていると思った。その後はそのブログは一切無視している。こんな重大な事実を、敵に有利なように書く。あまり自分だけの想像で書くものではない。こんな事実はすぐ分かることである。
不思議なことに、この人類史上最大の戦争犯罪に対し、その犯人特定の努力がなされた形跡は全くない。犯人は分からないのではなく、分かっているのに誰もそれを指摘しないだけである。
原子爆弾の開発・製造を遂行した計画はマンハッタン計画であり、これに携わっていた学者達の名前は全て分かっている。計画自体は極秘に進められたが、今では誰が主体となって進めたかも分かっている。ほとんどがユダヤ人である。
この史上最大の犯罪は、ユダヤ人を中心としたディープステートが計画(マンハッタン計画)した。その上で日本への投下を尻込みしていたトルーマン大統領の尻を叩いて、日本に投下させたのは、当時のハーバード大学学長のジェームス・コナント(ユダヤ人)あった。
しかも、この犯罪はユダヤ人とは無関係で、これが犯罪であるとしても、それはアメリカ合衆国の犯した犯罪であるとされる。戦後は、この核兵器を彼らは直ちにソ連に持ち込んで、ソ連に核兵器開発をさせ、その上で、核開発競争をさせて、東西冷戦の構図を拵えた。
核兵器の撤廃、廃絶などという話は全く進まない。関係各国にそれを進める気は全くない。進まないように監視しているというのが事実である。
しかも、その上で現在の核保有国以外の国には、その製造・保有を認めないという体制を作っている。もっとも、最近では印度、パキスタン、イスラエルといった国が核を所有し、この体制は崩れつつある。日本は核使用で報復する権利がある。だからこそ、ディープステート日本には絶対に核開発・保有を認めない。
要するに、奥の院・ディープステートだけが、核兵器所有を認められるというのである。これが、奥の院・ディープステートの世界支配の体制である。彼らしか戦争は出来ない、してはならないという体制の当然の帰結である。
これから重要なことは、この核兵器の使用のハードルを如何に上げるかである。ディープステートはこれを下げる努力をしている。核軍縮の話は一向に進まないし、核廃絶など夢のまた夢である。しかも、反核運動は左翼に乗っ取られ、なきに等しい。反核運動も左翼というディープステートが牛耳っている。
広島原爆資料館などを運営している広島平和文化センターの理事長は、スティーブン・リーパーというアメリカ人が務めている(今は元理事長としているが実体は変わらない)。要するにこの種の運動も、日本人には決してさせないのである。