感慨に浸りながら。藤樹書院を辞去したあと、教えていただいた
中江家の墓を詣でました。
儒教式の墓には元来はっきりとした銘はなく、
ただお骨のある場所に、小山のように土を盛るのみ。
そして小さな墓標があるのみだったようです。
ですから最初はどれが誰のお墓かわからなかった。
60歳になった熊沢蕃山が藤樹のお墓に詣でます。
さまざまな情報をお届けしています。
感慨に浸りながら。藤樹書院を辞去したあと、教えていただいた
中江家の墓を詣でました。
儒教式の墓には元来はっきりとした銘はなく、
ただお骨のある場所に、小山のように土を盛るのみ。
そして小さな墓標があるのみだったようです。
ですから最初はどれが誰のお墓かわからなかった。
60歳になった熊沢蕃山が藤樹のお墓に詣でます。
藤樹書院を出た後、夕暮れ迫る同じ高島市に
「白髭神社」があるため、当初の思い通りに
参拝させていただきました。
猿田彦さんの神社です。
水先案内人ですね。
琵琶湖に鳥居が建つ、デートスポットみたいで
多くの恋人たちが、水辺で鳥居を眺めていました。
“再録 「竹のものがたり」 その8~竹へのいざない” の続きを読む
「竹のものがたり」はふとしたことのきっかけから
始まりました。
それは、尊敬する方のお話の間違いでした。
それも人物の勘違いを、2度同じ間違いです。
しかしその勘違いのおかげ様で、たくさんの学びが
ありました。
ですから間違いのお話の主は、むしろ恩人といっていいです。
中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行。
“再録 「竹のものがたり」 その10~連載を終えて” の続きを読む
今回の「竹のものがたり」のきっかけは
平成4年から、すでに29年に及ぶ
お付き合いをいただいています、東京の
野口様ご夫妻に書いていただいた個人の御天画から
始まりました。
野口様はいわゆる心霊的な能力をお持ちの方です。
ですから人間としてなんらかの壁を外されていると
感じます。
“再録 「竹のものがたり」 その11~ エピローグ” の続きを読む
落合 勲さんは
手羽先「山ちゃん」の字の
揮毫者さんです。
令和3年5月1日、名古屋を息子とIさんと
連れ立って、車で650キロの旅に
午前五時半、旅立ちました。
大洲肱川町大谷のクマちゃんの炭焼き現場が
目的地です。
「車で行きます。
どこかで泊まりますので、ご心配なさらないように」
とのこちらからの申し出にクマちゃんは
「そんなこと言わないで家に泊まってください。
3人は泊まれますので」
暖かなお申し出にあまえて、午後2時を目標に
一路淡路の瀬戸大橋を目指します。
“再録 「竹のものがたり」 その13~愛媛大洲市肱川町への旅 1” の続きを読む
予定より一時間遅れて到着ですので、
クマちゃんの計画をズタズタにしたのかも
知れませんが、それでも大切なことを
しなければと御在所のお山をご案内いただくことに
なりました。
御在所の説明はここです。
石灰岩の林立するお山です。
水に浸食された石灰岩があちらこちらに
見受けられ、さまざまな動物や天の鳥船や、
天狗岩などがあります。
全員無事に山を降り、温泉へ。
そして奥様の手料理で、いつもはお酒を飲めない
クマちゃんも奥様のお墨付きが出たようで、羽目を
外しました。素晴らしいお料理の腕前。
この方がいたればこそのクマちゃんの
奥様は忍耐の人。
そして眼にハンデを背負いながらも
地球と人に貢献する竹炭焼の天才の息子さん。
肱川町の山奥で暮らすお三人の天使です。
いよいよ翌朝は、竹炭の火入れです。
息子さんがそのお役目です。
半日ほどで焼き上がり。
燃料は0です。
途中、竹瀝や竹酢を手に取って
顔に塗りました。
スベスベ。
さまざまなものが炭になっていました。
クマちゃんは、書でも詩吟でも師範代です。
大洲市の小学生は一年生になると
もれなく全員がこの中江藤樹の詩を詩吟で
暗唱させられます。二分間で。
まだ幼くて意味も分からないことでしょうが、
まるで教育勅語のようです。
だから、幼いころから藤樹の精神が
染み込んでいくのでしょうか。
さまざまな目まぐるしい展開にまったく
楽しいお時間を過ごさせていただきました。
ご家族三人のお心を尽くされた、細やかな
ご配慮に感謝しつつお別れの時となりました。
帰りはしまなみ海道回りで帰名しました。
空も喜んでいました。
クマちゃん、ありがとう。
指が龍を指しています。
県名に「愛」を冠する、愛知と愛媛。
不思議なご縁に手を合わせています。
アイアイ傘ですね。(笑)