今、世界はさまざまに揺れているかのようです。

フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、心がキュンとなったのは何故でしょうか。アキノ大統領は陛下の心中を慮り、

「当事者でない陛下が、この戦後の70年間の重荷を背負って生きてこられたことに敬意を表する。」

と述べられました。

貧困が漫画になったり、真にそのような方たちがこの国で増加してきたり。子供をあやめる親が増加したり。公称3万人をこえて、、また不明者を加えれば戦争で亡くなったかたたちを上回るような累計自殺者の数。

仁徳天皇のように「民のかまどの煙」を見ることもない政治に携わる方たちや、御役人さんたちを知ります。世界では異常なる気候に翻弄される人々や、国を負われ他の国に逃れたら、そこで行き場のない待遇を強いられる人たち。同じ地球に同じ時期に共に生かされる人々が、あまりに異なる状態に生かされることに心が震えるのです。

みんな自分の心がなしたことでしょうか。

今日本に生まれ60年を超える時間を生かされ、一体何をなすべきなのか。この国の人々がどのような形で、どのような道を歩んでいけば、心から喜べる社会となっていくのだろうか。さまざまな難題を抱え苦しむ人々や、まだ自我も芽生えないままに肉体の終わりを迎えなければならない生命体や、戦争という名のもとで、殺人を余儀なくしている人たちや、お金だけが目的として食べるものさえ偽る人たちや、お金が安全に優先する企業風土や、先の希望を失い、体や心の不調から肉体生命を脱ぐ人たち。

全部自分の姿でした。
ただ祈るだけしかないのでしょうか。

イエスは天に祈りました。
自分をあやめる人たちのことを祈りました。

「主よ彼らを赦してください。彼らは自分達が何をしてるのか、わからないのです。」

何をしてるのかわからず、互いの人生をみんなが懸命に生きています。それでもイエスは赦せといいました。もしかしたら、自分がなしていたのかもわからない行為。人間はひとつの生命を生きています。すべてが自分なのです。

今世界は大きな変革の時を迎えているのでしょうか。小さな力でも、できるだけのことをしたいと小さな心が今、思いました。

縁って、お人とだけでなく、本や、もの、場所などたくさんの縁があります。すべては自分の人生を彩る、天からの霊(言)だと知るとき、人生がすばらしく明るく輝くのでしょうか。

あまり本というものが好きでなくて、というより余裕がなくて、たくさんを読みましたとはとてもいえない私です。ただ多感な(そんな時もありました)頃の10代後半から20代前半には、アルバイトなどで少し余裕が出たこともありまして、いろんな本を読みました。

中でもこのように生きたいものと強く思わせた、魂を揺さぶる本が、故 芹沢 光治良さんの「人間の運命」全7巻です。

芹沢さんの自伝的小説ですが、主人公の次郎は心優しく、怒らず、温厚にして積極的な人物です。若い頃の人生の指針としてむさぼるように読んだことを思い出します。一押し推薦の長編です。

著者の芹沢さんは自分の死期を認識できる方だったようですが、一度の死期を延長されてからは、その後も多くの著作を残されました。東京中野に御住まいだったのですが、不思議なことに今も御天画を通じて24年間の御付き合いをいただいています同じ中野のNご夫妻が芹沢さんのご葬儀に最前列で参列されたこともお聞きし不思議なご縁を感じさせていただきました。

長いときを超えて、今年の賀状の中の一枚が芹沢さんの声を届けてくれました。
マザー160106.jpg
差し出し人のIさんは、日本人としてのマザーの深い友人でした。インド心の旅を30年もの間主催され、多くの人々をインドへといざなわれました。マザーが亡くなった日はちょうどインドの心の旅を終えてコルコタ(カルカッタ)から日本へと戻る日でした。

しかし飛行機は飛ばずキャンセルとなったため、いそぎマザーハウスへと戻りました。そこにはちょうど棺に入ったマザーの遺体がありました。牧師様にお願いし写真撮影を赦されました。後にその画像はIさんの著書に掲載をも赦されました。

そのIさんに降りたメッセージ

「人間は他のいのちに仕えたとき、自分のいのちがもっとも輝く」

マザーの声が聞こえるかのようです。

平成28年のお正月

新しい年が素晴らしい輝きとともに明けました。

紅白、下の二階でそして朝明の岩魚の養魚場で唄ったエックスジャパンのとしさんが、圧倒的な歌唱力で変わらぬ魂を捧げました。中学3年の時、男装の麗人丸山明宏さんのテレビから聞こえるヨイトマケの歌が、歌というものに初めて涙した体験をくれました。何も変わらぬ明宏さんでした。

一人一人がさまざまな体験をしながら、さまざまな望みを持って生かせていただきます。役割を行かせていただいてます。変わらなくていいと感じます。

ありがとうございます。

平成27年の年の暮れ

8階のベランダから名古屋の南方面を見ています。産業界がお休みになるとこんなに空が綺麗なのかと、輝く空を見つめる午後三時過ぎです。

今年を振り返りますと、2月突然のように全国にピッコロ現象と言っていいような驚くべき現象がありました。Eさんが遊び心で作成したピッコロという小さな箱が毎日毎日ものすごい数で全国に旅立ちました。特殊なセラミックをただ単三の電池一個で電圧をかけただけの、しかも電池の消耗が自然消耗だけでほとんどないという仕組みでした。 “平成27年の年の暮れ” の続きを読む

突然に繋がってきたこと~その後

「突然に繋がってきたこと」の中の12年前の水の実験は反響が大きかったようです。

その中で、水道水の茶色い浮遊物は何でしょう?とよく聞かれます。それで会社にあります直流電源装置で再実験しました。36Vで0.03Aの電流が流れました。ステンレスの板を電極に使っています。

水1.jpg “突然に繋がってきたこと~その後” の続きを読む

すべては水

境があってもすべては水。特に生体とか水に溶けやすいものはわかりやすいです。その中でよく微生物による発酵促進を行って人間による糞尿(便とか尿とか紙など)をにおわない水に処理することは良く知られています。先回のテネモス通信VOL.26には「テネモス屋久島」の糞尿処理の実例のビデオがありました。

この画像に見られるように、便も尿も紙も形なくすべて水になります。そしてきつい匂いも消えてしまいます。

くさい匂いは酸欠の状態を表します。有機物(CO2などは除くCをふくむもの)と無機物(それ以外のもの)が混ざって、圧が加わると中性になろうとするエネルギーが働きます。有機物、ここでは便や尿や紙などに含まれるものは+で、無機物、主にお水などが-です。

+と-が出会うだけでギャップ(差)が生まれます。その差にエアードリームのような空気振動が加わって圧がかかりますと、中和に向かいます。その結果、すべては形なく水に帰します。

実際の処理による作用反作用の真理による結果を表します。入れているものは空気だけなのです。10年ほど前でしょうか、ある名古屋のラーメン屋さんの汚水の水の処理がされました。普通はオイルのフェンスを設けて、溜まる油を別に廃液として、週に2~3度、業者の方に引き取りにきてもらっていたようでした。廃液が溜まるマスにあるフェンスを割って、今回の屋久島の汚水処理と同様のマナエアー処理をしました。油が水になってしまいました。

伊良湖の「まるえい」さんでもこのことをお知りになってすぐに実践されB&Bの便尿を処理できました。溜まるスピードや量などによって、処理の圧を変化させる必要があってやった人だけが納得する、宇宙の真理です。

細かい振動エネルギー

細かい振動を出せば、細かい振動エネルギーを呼び込みます。細かい振動の物質は細かい振動エネルギーを呼び込み物質を中和に導きます。同じ物質でも人体に荒い影響を及ぼすものは、細かい振動の物質でなく、粗い振動の物質が呼び込む粗いエネルギーでしょうか。

薬局で購入できる濃塩酸(ふたをあけますともや~~と気体が出ます)の溶液の中にエアーを入れますと、細かい振動の物質になり、触ってもやけどはしません。でも古い10円銅貨をつけますと、ピカピカになります。塩酸の役割は果たしても人体に有害とはなりません。

人間でも粗い振動(意識)の人のそばには寄りたくないし、細かい振動(感謝や思いやりや安心)の意識を出している人には多くの方々が寄っていかれます。

水道水の中にはさまざまな無機物や有機物があります。一日2Lを飲み続けても人体に影響がない程度に浄水場で浄化されて水道をとおり各家庭に届きます。もちろん体の中にも多くの無機物が存在しています。体を維持するために大きな役割を果たしています。ですから水道水の中に含まれるものを除去する考え方でなく、働きのみを残し、人体に無害な細かい振動にすればいいようです。

本日深夜に届いたテネモス通信はそのことの明快な解答になる内容です。マナウオーターを飲むというより、その細かい振動を受ける状態になると言ったほうがいい気がします。活性水のことです。

飛行機が推進力で動くのではなく、振動の差が生み出す吸引エネルギーで動いていることも説明しています。風力発電機も一枚の羽の振動の差に注がれる吸引エネルギーが動かしていて、風は振動のきっかけにすぎません。

突然に繋がってきたこと 6 「出したものが返る」 終章

このシリーズを書いていた昨日、昨日の分が書き終わりを迎える頃、パソコンの操作ミスで全部消えました。すぐに「これは書いてはいけないんだ・・・。」と思いました。それでも今朝からまた始めています。(笑)

意識が遠方に届くことを植物で実験したアメリカの研究者の話題がIN DEEPにちょうど記載されていました。


フォーゲルは、当時、27歳の IBM の上級科学者で、100以上の発明の特許を持っていた。そのキャリアの途中で、彼は、自身の持つ科学知識のさらなる有機応用に興味を持っていたのだ。

彼は、植物により放出された電流をテストした。そして、彼が呼吸し、心の中で思考を巡らせていた時に、心の中の思考が明確で、呼吸が遅い時に、植物たちが劇的な反応を示したことを見いだした。

彼のチームの元研究員だったダン・ウィリス( Dan Willis )は、彼のウェブサイトで、フォーゲルの実験を説明した。ウィリスは以下のように書いている。

「思想に対する植物の応答性は、8インチ(約 20センチ)離れても、8フィート(約 2.4メートル)離れても、あるいは、8000マイル(約 13000キロメートル)離れても同じだった」

「フォーゲルは、プラハから、そして、チェコスロバキアから、彼の研究室のあるカリフォルニア州のサンノゼにまで、植物に影響を与えることができたのだ」


このように研究者の意識は距離に関係なく、何万キロ離れていても植物に届くのだということがわかりました。植物に意識がありそうなのです。 “突然に繋がってきたこと 6 「出したものが返る」 終章” の続きを読む