https://tenmei999.blogspot.com/2021/08/2418202188.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月04日の記事を紹介します。
「運がいい人」
今日は、斎藤一人さんのお話です。
「運がいい人になるには」というテーマです。
さまざまな情報をお届けしています。
https://tenmei999.blogspot.com/2021/08/2418202188.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月04日の記事を紹介します。
「運がいい人」
今日は、斎藤一人さんのお話です。
「運がいい人になるには」というテーマです。
https://okunoin.fc2.net/blog-entry-655.html
今から76年前の一昨日に、広島原爆大虐殺を実施するために広島に飛来した爆撃機B29の名前は、「エノラ・ゲイ」だった。これはイディッシュ語で「天皇を葬れ」という意味である。テニアンと飛び立った「エノラ・ゲイ」は東京に向かった。攻撃目標は東京の皇居であった。この情報をつかんだ東条首相は天皇にお願いに上がった。「何とかこの爆撃を阻止して欲しい」との悲壮な願いを陛下にしたのであった。
“「エノラ・ゲイ」 奥之院通信 R3 8/8” の続きを読む
Kさんからのおはがきにこの言葉がありました。
お彼岸の日。
「小さく醜い 吾なれど
私があなたを 忘れても
あなたは 私を忘れない
・・・・・・・・・・・・・・・・・」
“再録 随想 伊路波村から64~人(霊止)がもつ無限性” の続きを読む
https://tenmei999.blogspot.com/2021/08/2417202187.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月02日の記事を紹介します。
「肉体を持った意味」
今日は「肉体を持つことの意味」と言うことで、小林正観さんのお話をご紹介します。
私たちが、この思い通りにならない3次元の地球で全ての魂の記憶を忘れ、肉体をまとっているときだけ、魂は急速な進化を遂げることができるようです。
“2417「肉体を持った意味」2021.8.7 自分で自分を自分するから” の続きを読む
https://okunoin.fc2.net/blog-entry-654.html
この日の朝は快晴、日本晴れ。この日、奥の院は予告なしに、原爆で日本人大虐殺を実施した。その時のある少女の手記をそのまま書いておく。この手記を書いた少女は、1945年8月6日、広島の爆心地から1キロ程のところの市電の中で被爆し、その災厄を身をもって味わわされた。
“「76年前の昨日の朝」奥之院通信 R3 8/7” の続きを読む
https://tenmei999.blogspot.com/2021/08/2416202186.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月03日の記事を紹介します。
「縄文と宇宙人」
世界に類を見ない、1万年もの長い間 平和な時代が続いた日本の縄文時代
アイヌの女性
彼らに争いは有りませんでした。 日本人は古代からどんな相手でも、拒まずに受け入れて、自分に取り込み、融合して進化してきました。
この時代の遺跡からは武器はおろか、争った痕跡すらありませんでした。
“2416「縄文と宇宙人」2021.8.6 自分で自分を自分するから” の続きを読む
https://okunoin.fc2.net/blog-entry-653.html
アメリカマイクロソフト創業者であるビル・ゲイツと彼の妻メリンダ・フレンチ・ゲイツ氏が5月に裁判離婚した。27年間の結婚生活だった。先日、唐突な離婚報道だけはあったが、その裏には深い事情があった。
その後,米軍は先日7月27日(火曜日)、ビル・ゲイツを逮捕した。児童売春やアメリカ国家並びにアメリカ国民に対する、言葉には言い尽くせないほどの犯罪を犯してきたからである。
海軍法務局(JAG)内の情報によると、米軍はここ数ヶ月、ゲイツの捜索に全力を挙げていたという。億万長者の彼が、金にあかして姿を隠し、ディープステートに保護され逮捕を免れてきた。しかし、この行方不明者も27日、サウスダコタ州に密かに所有していた屋敷で逮捕された。
“「ビル・ゲイツがお縄」 奥之院通信 R3 8/6” の続きを読む
2006年6月6日以来 時計が止まってしまったかのような時間をすごした気がする。
この7年の間にしかし 世の中は物凄い変化をしている。
恐慌とも呼べるような今という時間にも 次々とたくさんのご縁をいただいた。昨日は 三重県で牧場を営む Mさんのメールに共通する意識を感じさせていただいた。
マナ・ウオーターを水道に着けて以来、毎日の洗濯が、愉しい日課となりました。子どもの頃には、台所はみがき砂、風呂や洗濯は固形石鹸でしたが、それでも、「水だけ」ということはなく、六十歳になって初めて「水だけ」の体験をしたのですから、それはそれは愉しいのです。
正確に言えば、それは愉しいというだけではなく、「嬉しい」のです。
“再録 随想 伊路波村から65~古代からのささやき” の続きを読む