2426「青空ひろば」2021.8.16 自分で自分を自分するから

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今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最近の記事を紹介します。

411 2921,08,13

『大力量の人、風が吹けばコテンと倒れる(大力量底の人、風吹けば倒る)』という禅語がありますが、風に逆らって踏ん張り続けるのがいいのではなくて、風が吹いてきたら、素直にすっ転んで、風が止むまで、あったかい大地に身を委ねましょうという勇気も必要ですね。何年も吹き続ける風なんてありませんからね。

410 2021.08.12

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です。

タイトルは『儚(はかな)さと懐かしさ』です)

冬休みには夏休みや秋休みと違った、独特の雰囲気があります。

年末の大掃除、お正月準備の買い出し、鏡餅やしめ縄を飾り、そして大晦日の紅白歌合戦、年越しそば・・・、年が明けると、初日の出を拝みに出かけ、神社やお寺に初詣、楽しいお年玉など、民族の伝統行事の目白押しです。

私は中学生の頃には、そんな伝統行事を毎年繰り返すことの意味がよく分かりませんでした。おそらくみなさんもそうなのではないでしょうか。

しかし、結婚して子供も生まれると、自分がはるかに遠い過去の祖先から始まって、先輩たちが必死の思いでバトンタッチして繋げてきた、いのちのチェーンの一つの環として、自分も加わったんだなあとハッキリ実感出来るようになりました。

そして、そのいのちのチェーンの最先端の位置にいる者として、先祖の方々や、民族の先輩たちが苦闘努力の末に、それでもやり残してしまったさまざまな課題を、その一部でもいいからなんとか解決して、次の世代にいのちのバトンタッチをしていかなければならない。そのためにこそ私たちはこの現代に生きているんだと理解できるようになりました。

年末、年始の伝統行事に参加することによって、民族の一員であることを再確認し、先輩たちが果たせなかった悲願の達成を誓うのです。  

お正月というと、家族全員が集まって、こたつのなかで、トランプで遊んだり、百人一首に興じたりした、そんな懐かしくも暖かい思い出がすぐ浮かんできます。

しかし私の場合、今や父母も地上を去り、兄弟姉妹も各地に散らばって、もう二度とこういう光景は帰ってきません。

あれはフラッシュライトに一瞬照らし出された、奇跡のような、貴重な体験だったんだなあと、今にしてしみじみ思うのです。

ですから、皆さんにも、二度とない人生のこの時の家族全員と過ごす貴重な一時を大切にして欲しいと思います。

お父さん、お母さんの手伝いをしたり、思いっきり甘えてみたり、兄弟姉妹たちと仲良く遊んだり、暖かい思い出をいっぱい作りましょう。

409 2021.08.11

ふたつ目は、「ヒロビロ心さん」が、性能の良い心さんです。

心の広さは、ガソリンタンクの容量です。広い心さんは、いっぱいガソリンが入ります。狭い心さんには、ちょっとしか燃料が入りません。

いっぱいガソリンの入った心さんは、どんなに遠い夢のゴールにでも、楽々あなたを運んでくれます。しかし、心が狭いと現実を脱出して夢を実現するには、エネルギーが不足です。

このように、夢を次々実現して、楽しくて、達成感、充実感のある人生を送るために、サバサバ心、ヒロビロ心を保つトレーニングが必要です。 

般若心経は、サバサバ心さん養成のマニュアルで、法華経は、ヒロビロ心さん養成のマニュアルです。

般若心経については、『劇的に運が良くなるお経』(カドカワ)をお読みください。おかげさまで何度も重版するベストセラーになっています。

法華経については、しあわせ通信第八集『法華経講義-湧喜をもって踏み出すために-』(本心庵)や『くじけない力』(カドカワ)をお読みください。

408 2021.08.10

心さんは、あなたの人生の夢と現実を結んでくれる存在です。

その中間者(媒介者)としての性質を、私は「ゴムひも」や「乗り物」やスクリーンに映像を映し出す、夢の原画が描かれた「フィルム」などでよく喩えて説明します。

ところが、夢を描いても、なかなか実現しない人もいれば、どんなデッカイ夢でもスイスイ現実化してゆく人もいます。これは、努力の多い、少ないによるのでなく、心さんの性能の良し悪しによるのです。

では、性能の良い心さんとは、どんな心さんなのでしょうか。

ここでは、二つだけポイントをあげておきましょう。

ひとつ目は、「サバサバ心さん」が、性能の良い心さんです。

心さんをタクシーで喩えてみましょう。

運転手さんに行き先を告げます。

その時、ズバリと、何のためらいもなく行き先を告げられますか。行き先を再三再四変更するようなことはしていませんか。これでは、運転手さんは、あなたが本当はどこに行きたいのは分からず、困ってしまいます。せっかくの高性能マシーンが、宝の持ち腐れです。

それから、いったん行き先を心さんに告げたら、あとはお任せです。居眠りしていてもいいのです。「果報は寝て待て」と言うではありませんか。

心さんは全知全能です。宇宙中の町並みや道路を、心さんはことごとく知り尽くしています。だから、あなたが夢のゴールを告げたら、心さんはあなたにとって最適の道筋を選んで、必ずあなたをゴールへと運んでくれます。

ですから、途中の道筋についてあなたが心配したり、注文をつけたりしてはいけません。いったん行き先を告げたら、あとはいっさい口出ししない、そんな男らしい「サバサバ心さん」が性能の良い心さんなのです。明日は二つ目のポイントを説明します。

407 2021.08.09

(さらに前回の続きです)

様々な原因結果の連鎖をたどってここに現われている無数の事情を持つ人々の群れ、「おはよう!」と呼びかけても、必ずしも返事が返ってくるとは限りません。でも「おはよう!」と呼びかけ続けることは自分の意志と決断で出来ます。『僕は君という人間が存在する価値を認めていますよ』と宣言し続けることは出来るのです。

混沌として、また醜いこともある世界、そんな世界に対して、返事があってもなくても、ひたすら「おはよう!」と言い続けることが出来た人だけが、世界を大きく変革してきたのだ、という事を知っておいて下さい。

校長先生が入学説明会の時でしたか、「明るく、元気よく挨拶出来る少年になって下さい」とおっしゃいましたね。今回はその校長先生の言葉を敷衍(ふえん)して説明してみたのです。  

406 2021.08.07

(前回の続きです)

世界は『因果(原因・結果)の博覧会だ』といった人がいました。挨拶しようとしても、どうしても出来ないという人だっているのです。

朝日新聞に養老孟司さんがエッセイを書いていました。養老さんは、「さよなら」という挨拶が出来なかったのです。だから、友達と別れるときは、何も言わずにそのまま行ってしまうのでした。自分でもそんな奇癖は分かっていて直そうとするのですが、どうしても「さよなら」が言えませんでした。

ある時、その原因が分かりました。養老さんは幼い時に、お父さんを亡くしたのですが、お父さんが亡くなった時、親戚の人にお父さんのところに連れて行かれて、「お父さんに最後の『さよなら』を言いなさい」と言われました。養老さんは、お父さんにもう二度と会えないという現実を認めたくなかった。だから、『さよなら』を言わず、泣きじゃくっていたのでした。そのことを思い出して、亡くなったお父さんに向かって、心の中で『お父さん、さようなら』と言えた時から、『さよなら』と挨拶出来るようになったのだそうです。

405 2021.08.06

(中学教頭であった時、1年の学年通信に書いた文章です)

元サッカー日本代表監督 岡田武史氏は母校早稲田大学での講演で、挨拶することの大切さを強調されて、その理由を『挨拶は、その挨拶する相手がこのチームに所属することを認めていますよ。決して存在を否定したり、所属を許していなかったりしていませんよ、という合図だから』と述べています。

つまり、「おはよう!」と呼びかけることは、『君という存在を認めています、尊敬しています』と、相手に宣言し、確認してもらう行為なのです。

もし「おはよう!」と挨拶しても「おはよう!」が返ってこなかった。だから腹を立ててもうその人には挨拶しないというなら、それは挨拶しない人の負けです。『僕は君という人間が僕の世界の中に存在する価値を認め、尊敬していますよ』という宣言が、ほんの些細なことで揺らいでしまうほど薄っぺらで、ウソのものであったことを暴露されてしまうからです。

404 2021.08.05

(岡 潔 先生の言葉)

真我が自分であるとよく悟った人は、他が悲しんでいるのを見ると、自分の肉体が引き千切られるように感じるのである。これは観音菩薩の心である。そうなればどんなによいだろう。・・・

春が来る。桜の花が咲く。

このとき、桜の樹の所有権が自分になければ、花を見ても長閑(のどか)ではないという人がいたならば、その人の春はどんなにか淋しいものだろう。

一歩進めて、他がしあわせそうにしているのを見ると、自分の心に喜びを感じるのが人の本然の心であって、肉体という物質の親疎の別によって、感じる喜びの程度が違ったり、その喜びが弱かったりするのは、心に濁りがあるからだということは、そう聞けばなるほどそうだとわかる人は多いと思う。・・・

他がしあわせそうにしているのを見ると、必ず自分の心に強い喜びを感じる人には、世の中は広々として、心は常に喜びにみたされている。

(大敬解説)

岡先生がおっしゃることは、まことにそのとおりなのですが、人類の魂の進化段階はまだ自他一体となるところまでは行っていません。

「真我」を矮小化する「自我の囲い」も今の段階では、やはり必要なのです。

ですから、何事も一気には進めません。

今の現状を認め、許して、そこから一歩ずつ前進するのです。

観音さまの自他一体の境地、『そうなればどんなによいだろう』と、憧れと尊敬を持って、自分の到らぬところを認め、懺悔して、いつの日か、きっと観音さまのようになれるんだと信じて生きてゆきましょう。

403 2021.08.04

(岡 潔 先生の言葉)

「真我は空間的にも限りなく拡がっている。

その拡がり方は、普通人が<自分>だと思っているものは、真我の自分である。

普通人が<他>と思っているものは、真我の非自非他である。

普通人が<自然>と思っているものも、真我の非自非他である」 

(大敬解説)

つまり、「ひとついのち」で生きとおし(時間的にも空間的にも)なのです。

そんな我(真我)が、『自分』と現われ、『他』と現われ、『自然』と現われているのです。全部、『私』なのです。

402 2021.08.03

(岡 潔 先生の言葉)

「短く区切って見ると、日本民族は失敗に次ぐ失敗をしているように見える。

しかし、長い目で見れば、少しもムダをしていないのではないかと思う」

(大敬)

人類の意志は『無限向上』を目指して揺るぎがありません。照準はピタリ合っています。

向うところ、ゴールはすでに確定しているんだから、途中で一喜一憂する必要はないではありませんか。心配ないそのままでオーケー

善意(あい)につつまれて生きている うまくいかないはずがない

解けない問題なんてない 真理はシンプル ニセモノは複雑

401 2021.08.02

大も小もあるもんか 俺が俺であるだけのこと

人に歩めぬ俺だけの道 人にゆずれぬ俺だけの道

400 2021.08.01

生かす人が 生かされる人になるのです

人を生かし モノを生かし 事を生かす

そんな人には 人もモノも事も みんな味方となります

399 2021.07.31

他者との 誠意をこめた関わりの中で小さく、局限されて生きることになっても

あなたは、ソコに喜びを見いだしてゆけますか

他者との 誠意をこめた関わりの中で評価されず、脚光をあびない人生を

送ることになってもあなたは、ソコに充足して居れますか

他者との 誠意をこめた関わりの中であなたが示したさりげない善意が

人類進化のジグソーパズルを完成させるために、どうしても必要で欠かすことが出来ない

貴重な『ワンピース』になるんだとあなたは信じることができますか

398 2021.07.30

「いのち」に一番近いのは身体(からだ)です。

そして、一番遠いのは頭(アタマ)です。

アタマは日常生活でフル回転させていますね。

本当は必要でないところまで、むしろ、いのちの流れに逆らうところまで、アタマを働かせていますね。

ですから、せめて坐る時だけは、アタマ君に「ごくろうさん、しばらく休んでいいよ」と休ませてあげるのがいいのです。

アタマを解き放ってやりますと、「いのち」が前面に押し出してきます。

そして、日常生活で傷み、いびつになった身体をどんどん修繕してくれます。

397 2021.07.29

何をあせっているの 君のいのちは 促成栽培できません

大木は ゆっくりゆっくり 育つのです

396 2021.07.28

どの道を選んでもいいのですよ。どの道を行っても必ず<幸せの国>に入れるんです。あなたには自らの進む道を自ら選ぶ自由があるのです。

しかし、どの道を選んだとしても、その道はあなたにとって、唯一絶対の、二つない、三つない道です。

その道の今・ココの、その一歩に、あなたの生命の全体重が、全身全霊がかかっていなければなりません。

真剣な学び、努力の姿勢が必要なんです。

その覚悟さえありましたら、次々、自動的に新しい道が行く手に伸びてゆくことになります。あなたのいのち全体が、次々「道」となって伸びてゆくのです。