「<何のために>という目的が、一番大事だよ。」
と、飯島さんは言っていました。
「そこさえしっかりしていれば、後は自然と定まってくる・・。」
「宇宙はたった1つの法則で動いている。たった1つなんだから、人類の目的も1つしかないんだよ。それは輪廻の克服だよ」
「モーゼやイエスや釈迦など、歴代の聖者と言われる方々は皆、奴隷解放をやってきたんだよ。」 “テネモス通信 vol.52” の続きを読む
さまざまな情報をお届けしています。
「<何のために>という目的が、一番大事だよ。」
と、飯島さんは言っていました。
「そこさえしっかりしていれば、後は自然と定まってくる・・。」
「宇宙はたった1つの法則で動いている。たった1つなんだから、人類の目的も1つしかないんだよ。それは輪廻の克服だよ」
「モーゼやイエスや釈迦など、歴代の聖者と言われる方々は皆、奴隷解放をやってきたんだよ。」 “テネモス通信 vol.52” の続きを読む
6月24日の記事にてプールの活水をはじめたことをお知らせしました。
汚染は酸欠状態 プール活水始まり 2016年06月24日 金曜日
電源トラブルがいろいろあって、機械が安定稼動したのが7月になってからですから、現在で実験開始から、ちょうど1ヶ月経過いたしました。25万リットルのプールが、ちいさな力ですこしずつ変わっているようです。
湧水部の変化
6月28日【開始直後】
7月6日【約1週間】
7月18日【20日後】
8月2日【1ヵ月後】
サンゴの最終実験で三日目にはとてもきれいな水になって、鉄分もお茶のタンニンによるテストでも黒くならずに、とても少なくなっているか、変質しているかが確認されました。
その後実験を続けていましたが、10日目の朝の様子です。6日目から水槽のガラス部分に付着したり、底にたまったりしかけていた鉄分は、まるで生きているかのようにさらに付着しました。 20Vの交流電圧を水にかけています。
この数週間の間に、たくさんの方々から私設飲み会のお声がかかりました。久しぶりの方、近くの方、久しく断絶していた方、学区の方などからです。それで短期間にたくさんのアルコールをいただいたので、肉体(心臓)が悲鳴を上げていました。
それでこの2日間本当に幾年かぶりにアルコールを口にしませんでした。すると夕食がとてもたくさんの量になります。なのにいつもは眠くなるのですが、眠くもならないのです。
今朝午前2時、急に目が醒めまして、何故だか机に向かい紺色のブックカバーに包まれた本を取り出していました。森信三先生の「修身教授録」でした。なにげなく最初のページを開きます。先生が40歳の頃教員志望の学生に行った講義の記録です。
一番遅筆の生徒を窓際の前の席に座らせて記録をお願いしました。そしてその生徒の記録のスピードに合わせて講義を行われました。昭和12~3年の頃のことです。戦前の修身といえば何か古臭く感じるのかもしれませんが、その「修身教授録」にある言葉群は、まぎれもなく現代のそして未来の人々に行き方の原点を示すものと感じます。人間の年齢に関わらずです。
第一節は講義をする生徒に向けてのメッセージです。何故先生と生徒は出会ったのか、そして何故この講義が開かれたのか。必然の出逢いを真剣にゆっくりと説いていきます。講義が終了し、必然という言葉に合点のいかない生徒が先生に質問します。
「先生私には先生との出逢いが必然とは思えないのですが。」
先生は答えます。
「まあそう思っても一向にかまわないですよ。諸君たちはまだ若い、私のような年齢になれば人間の出逢いが必然だと気が付くことでしょうし、またそのように思ってこれからの人生を生きるか、または思わないで生きるかでは人生の意義が大きく異なるとおもいますが。」
というようなことをおっしゃって静かに教室を退室されます。生徒はうわさに聞いていた以上にしっかりとした重みのある講義に魂を打たれるものが多いようでした。
第二節は「人として生まれて」でした。
私達の周りを見渡せば、雑草だけでもものすごい種類になります。また動物の種類をあわせると膨大な種類になります。なのに何故私達は人として生まれたのでしょうか。誰でも人生一度は人間として生まれたのは何故なのだろうと疑問を持ち、さまざまな考えをめぐらせます。しかし人生を経験していくうちにそのような考えは次第に遠のいていきます。そして人生のさまざまな雑事に翻弄され、真に人間として生まれた意義について深く考えることもなく人生を終えます。人間ならば絶えず自分が人として生まれた意義を心のうちに秘めながら人生のさまざまな事柄に対処していきたいものと思います。文章が少し違っているかもしれませんが、一気に読み進む重い言葉群です。
そして第三節は「この国に生まれて」です。
世界にたくさんの国がある中で、この大和の国に生まれたというのは何故なのでしょう。今に至る、親や先祖、そして遠い民族の連綿として続く血脈が私達の中に流れていることを知らねばならない。思い出せと言うかのように深夜の心に響きます。
「修身教授録」忘れずに読み進みたい本です。
今回で6度目くらいになりました。
再びの始まりです。
6月29日に活水を開始して、今日7月29日を迎えました。
湧水部はやはり細かい泥が蓄積浮遊しています。ですが細かい泥は水に浮遊しながら放水口から少しずつ出ている様子が確認されました。放水の量はここしばらく10リットルあたり52秒がかかっています。その量はずっと変わっていないのでこのままおそらく連続的に稼動していくことでしょう。神社の池は一応の安定を見ました。
再々サンゴでのマナウオーターおよびバンブーシステムの実験は四日目です。水に照りが出てきて、ガラスの向こうの全ネジのステンレス棒のネジまでがはっきりと見えるようになりました。
この水に鉄分はあるかどうかの実験です。お茶の葉(タンニン)を入れたコップに
この水をいれてみました。鉄分があれば黒くなりますが、黒くなりません。(サッポロビールの回し者ではありませんが。)
次にこの水に湧水部のサンゴ(少し鉄分が付着して赤くなっている)を混ぜさらに枯葉(タンニン)を入れてみました。
そして枯葉を取り除きました。
上記のようにややタンニンと反応し黒く濁りましたが、通常鉄分と混ざりますと真っ黒くなります。ですからこの黒っぽい濁りでは鉄分がたくさんあるとはいえません。
したがってこの水には鉄分がないか、少ないか、変質したと考えられます。赤池の水の実験では、鉄分は細かくなって変質し活性化された水はほぼ鉄分が認められないと思われます。実験結果から実際の池での実践結果が待たれます。
青い色が澄んできました。二週間か20日くらいで臭いはとれます。
始まりの時の状態です。
神社の池の活性を始めてほぼ一ヶ月が経ちました。
この池は水路で他の池と繋がっていて、その池から水が流れてきて、溢れた水は水路を通って自然排水されるようになっています。元の池には遠くの井戸の水をポンプで上げてまた別の水路を通ってその池に水を流しています。 “神社池の一ヶ月後” の続きを読む