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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月27日「喜びの世界へ」と2021年10月28日「地球のドラマ」の2つの記事を紹介します。
「喜びの世界へ」
死とは、私たち平凡な人々にとって一大事なことです。
身近な人であれば、悲しみ、時によっては、「ああしてあげればよかった」と、一生後悔を背負って生きていくかもしれません。
ですが、臨死体験を経験された方のお話や、生まれる前の記憶を持つ子供たちの話を聞けば、
死とは、それほど深刻なことではなく、元居た場所に、また帰るだけ。
肉体がある時よりも、はるかに長い時を過ごしている本来の場所に戻るだけ・・のようです。
ですので、あまり深刻なお話にはなりません。
また他の星団から直接地球に転生し、その記憶を持ったまま生まれて来たレインボーチルドレンのお話では、どうしても疑問があって、分からない時には、元居た星団に残している自分自身の本体と通信し、その答えを得ることもあるとのこと・・
これの意味するところは、私たちの魂は、物理的などこの地点(宇宙)及び、多次元に同時に存在できるということです。
また、光よりも早く通信できるということ。量子力学の電子の蓋然性と同じです。
本人が意識をフォーカスさせているところに強く出ます。
つまり、肉体を持つ時は、強く肉体に意識を向けているために、自分自身が神々と同じく
多次元的な存在だとは気づかないけれど、本来、魂は、肉体を超えて生き、存在する・・
と言うことだと思います。
そういった観点から、今日は、聖心女子大学教授、シスターの鈴木秀子さんのお話をご紹介します。
鈴木さんの臨死体験にまつわるお話で、亡くなった方のために「喜ぶ」という内容です。
<引用開始> 引用元
≪臨死体験で変わったこと≫
司会者―臨死体験をした後、何か変わったことは?
誰かがなくなったときに、家族は泣いてますよね、亡くなったときに、あの人はあの素晴らしい世界へ行ったんだから、その人のために喜ぶ。
家族は悲しいから家族のためには祈りますけれども、亡くなった人のためには喜びを感じるようになりました。それがとても大きなことですね。
司会者――あちらの世界が素晴らしい世界だから、(患者が)病気で苦しんでいらして、厳しい状態の時にも、「安心なさってください」という言葉が説得力を持つんでしょうか?
(死がまじかに迫っている人たちに)私は手を当てたまま、本当に神様の愛が伝わって、私を通ってその方に伝わり、神様の愛が循環しているような、臨死体験で味わった、無条件の愛の中にいる安らぎというか、安心感というか、そういうものをもう一度、再現している幸せを感じます。
司会者――なぜ臨死体験の幸福感が再現されるのですか?
つらい人とか、もう死が控えている苦しい苦しい人はもう見栄とか、体面をつくろうことができない。いのちのギリギリまで迫られているから、その人の“ありのまま”をさらけ出しているわけです。
だから私はその人たちから刺激を受けて、自分も飾ることなく、その人たちから自分の
“ありのまま”を引き出されて、そうすると、お互いに一体感が浮かんでくるんですね。
もう死ぬ前の人間が一番望むのは“愛”だけですよ。だから自分も愛を溢れさせるし、
愛を受け止める。だから病人をお見舞いに伺うのは大きな喜びであり、恵みであり、癒しを与えてもらう瞬間でもあるんですね。
司会者――最後に、これからの目標は?
一つ大きな目標があるんです。年を取るにつれて全部、どんどん、昨日までできたことが、
今日はできなくなる。失われてゆく。じゃあ、自分が最後の最後まですることは何だろうかと考えたときに、気づいたことは、息を吸うことと吐くことじゃありません?
だから、息を吸うことと吐くことは死の瞬間までするから、これを使わない方法はないと思ったんです。
・吸うときに感謝を込めて吸い、
・吐く息に神を讃美する。
感謝、讃美という思いを込めて、吸ったり吐いたりする特訓を自分にしているんです。
<引用終了>
鈴木秀子さんは臨死体験をしてから後、不思議な力に突き動かされて病院などに、死に行く人々を訪ね歩く活動をされています。
そこでは、ただ
・同調
・肯定
・息を合わせる
・寄り添うこと
それしか行われませんが、2人の間に神聖な結びつきが生まれ、神々のエネルギーが循環するのだそうです。
その結果、死を待つ人々の心は、愛に満たされ、穏やかな気持ちで、神さまに抱かれて行くのだそうです。
派手さはありませんが、それこそが、まさに神々のやり方です。
愛の交流を通じ、心を救って行くのです。
イエスも同じことをなさいました。
「地球のドラマ」
今日は28日ですので、お不動様の縁日。護摩焚きに行ってきました。
坂道を上り始めたころから、天界、神様の領域に入ります。
ここを通過する時、いつも一瞬のインスピレーションが降りてきます。
一瞬ですが、巨大な情報の塊。その中から、一つご紹介します。
春日大社の元宮司、葉室頼昭さんもよく書いておられましたが、古事記の中には、原初の宇宙創成の科学的な出来事が、上手に神話として描かれている・・・
138億年前に、この宇宙はビッグバンで始まりました。
そこに現れたのが、天之御中主神(アメノミナカヌシ)この宇宙を創造する・・
それは、この神様の意思から始まりました。
その後すぐに
・高御産巣日神(タカミムスビ)
・神産巣日神(カミムスビ)
の2神が現れましたが、この2神の役割は ムスビ と言う言葉が示す通り、波であり、物質である素粒子を結び(ムスビ)つける中間子の力を示します。
1935年、日本の湯川秀樹博士によって科学的発見された力でもあります。
このことにより、波、素粒子から原子が生じ、分子、物体となり、物質宇宙を形成することができました。
この時、つまり天地開闢において、神世七代の最後に
・イザナギノミコト
・イザナミノミコト
の男女の神様が生まれ、国土を形成し、沢山の神々を生みました。
神の国、日本では、森羅万象の中に神々を見出し、恐れ、敬い、大切に共存の道を歩みました。西洋における「自然は人間が征服すべきもの」とは正反対の心です。
縄文の時代より、人々は人間の心の中にも神を見つけました。自分の中にも、相手の中にもです。その結果、相手を尊重し、お互い様、おかげ様の美しい心が育ちました。
全ての人の心には、神々が住んでいます。
その美しい神々の心を、この世に生を受け、荒波にもまれ、生きるために必死になっている間にポツンと小さな自我が生まれました。「自分さえ良ければ」の黒いシミのような心です。
何時しか、それらモヤモヤしたものが凝り固まると、実際に独り歩きを始めたり、様々な害悪を世の中に広めることにもなりました。
私達日本人は、何かあるとよく神社や仏閣に行ってお参りします。
お参りと言うよりも、願い事を言いに行く人の方が、圧倒的に多いかもしれません。
ですが、いつもいつも
・何々してくれ
・あれをくれ
と自分の欲望をぶつけに来られる神々も、困っているかもしれません。宇宙創成以来の神々は、何も私たちの欲望を叶えるために存在しているわけではないからです。
ですが、この物質界に生を受け、いろいろな艱難苦難に会いながら、魂磨きをしている私たちにとって、
・誰かにすがりたい
・何かに助けて欲しい
そう思うのも無理のないことかもしれません。
ですが、この神々でさえも、私たちの心が、自我、欲望にまみれ、罪・穢れの中にある時は、助けたくとも手が出せません。
私たちの心が変わらなければ、例え、有名な神社仏閣に行こうと、高いお金を払ってご祈祷していただこうと、効果はありません。
では、私たちの心が、どう変われば、神々の恩寵を得ることができるでしょうか?
それは、私たちの心に「感謝の心」が芽生えること。
辛く苦しい環境の中に置いて「感謝の心」を持つことは難しいかもしれません。
縄文の時代から培われた神道では、お祓いと言うものがあります。
これは、本来美しい輝きを放っていた神々の心を持つ、私たちの心の自我や欲望、良きことも、悪しきことも全て祓ってしまい、(そのエネルギーを黄泉の国に返し、循環させる効果があります)本来の無垢のニュートラルな心に戻す効果があります。
助けて欲しい・・そのように他力本願ですがってきた人々も
自分の力の及ばない、見えない神々の力を信じ、頭を下げ、真摯に祈る姿、
ここからブッダの悟り、縁起の法則を見出す、小さな一歩が始まります。
縁起の法則というのは
「人は自分の人生を自分の思いで作れると思っているがゆえに、悩み苦しむ。
人生は自分の思いでできあがっているのではなくて、自分たちの思い以外の
神仏や周りの人々のおかげで全部が成り立っている」
というブッダが初めて悟った時に知った宇宙の法則です。
人生の中で遭遇する
・悲しみ
・苦しみ
・悔しさ
それらは、苦しいことですが、実際には私たちの魂を磨いてくれます。
それをきっかけとして神々に目を向け、小さな自分に気づき、周りの方々の「おかげ様」に気づき、感謝の心を持つことができた時、私たちの生まれて来た人生も目的の大半は成就して、神々からの祝福を思う存分得ることができることでしょう。
この宇宙に存在する物、見える物も、見えない物も、人間も、動物も、植物も神々も、全部繋がっています。
天之御中主神(アメノミナカヌシ)がこの宇宙を創る時に描いた理想、
それは、存在する物全てが、助け合い、バランスを取りながら変化し進化していくこと。
美しい神々の心を実際に実現していくこと。
この宇宙の果て銀河系の中、太陽系の第3惑星 地球で、私たちは今、そんなドラマを演じています。