2434「涙、心の浄化」2021.8.24 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月20日「愛語」と2021年08月22日「涙、心の浄化」の2つの記事を紹介します。

「愛語」

見える世界、見えない世界を含めその世界のありさまを決めるのは、私たちの心です。

今日は、その心を美しくするために簡単にできる、「愛語」について書きたいと思います。

きっと、この愛語の精神でいる限り宇宙からのサポートがふんだんに降り注ぎ、

私たちの所属する銀河が、今通過している大きな潮流に乗り、

ご自分も、そしてご家族も幸せになれることでしょう。

<転載開始> 転載元 小林正観さんの記事より

「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚が好んで使っていたと言われています。

良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。

「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。

だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。

それならいくらでもあげることができるから」

良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

にしたいと思っていたようです。

日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。

「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、

私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、

相手に大きな影響を与える力(神)が宿っていることを、

忘れていたのかもしれません。

京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。

木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。

説明によると、

「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、

すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。

私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、

「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、

一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、

・あたたかいもの

・勇気づけるもの

・安らげるもの

・幸せを感じさせるもの

・喜びを与えるもの

にできたらと思います。

そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。

「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…

芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。

「言葉には『神』が宿っている」という考えは、

「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。

だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。

人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。

<転載終了>

自分の口から出る言葉に少し気をつけて、良寛さんのように、

・あたたかい言葉

・やさしい言葉

・思いやりに満ちた言葉

を口にしたいものですね。

そうすると、その発せられた言葉は、神さまの波動を帯びていますから、

必ず相手のハートの中の神さまも共鳴します。

その結果、お互いの間に目に見えない良き共鳴現象が起き、

美しいハーモニーを奏で、幸せになることができます。

私たちは、自分の心の中に在るものを、自分を取り巻く外の世界に見ます。

また、自分の心の中のものが、口から出ます。

ですから、自分の心に取り込むもの(見たり、聞いたりするもの)も

・美しい心の表現

・信じる心の表現

・優しい心の表現

・思いやり、助けいあいの心の表現

を見て、そして聞きたいものですね。

そうすれば、同じもので、私たちの心は満たされます。

逆に、興味本位で(面白いからと)

・人をけなすもの、おとしいれるもの

・人を疑う、疑心暗鬼のもの

・人を差別するもの、排除するもの

・怒りと憎しみに満ちたもの

からは遠ざかり、心に入れないようにしたいものです。

それらのことを、もし面白いと感じたのなら、静かに心を振り返ってみてください。

そこに邪悪なものは潜んでいないでしょうか?

そうすれば私たちの心のバケツは美しいもので満たされることでしょう。

美しいもので満たされた心は、それを表現しようとし、周りを幸せにすることでしょう。

そしてご自分自身も、世の中に美しい心の世界しか、見なくなることでしょう。

空海の言った「生きながら天国に住む」とはこのことです。

幸せは、神様がくれるものでも、何処かの誰かがくれるものでもありません。

自分の心が決めるものです。

「涙、心の浄化」

この地球、物質世界に住む人々の営みの中に

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心

を見た時、自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。

それは、その人々の言葉や、行為の中に神々の姿を見たからです。

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

神々の起こす奇跡はサーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、それがスイッチとなり起こされます。

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、実は神様の介入により、

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。

その積み重ね

私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。

人々の中に神々を感じ取った自分、それは同時に自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。相手の中の神々と同調、共鳴し真の自分と繋がった時です。

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・そうお思いになることでしょう。

人々の耳目を集める

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に 神々を見つける奇跡にはかないません。

神様は、私たちの魂を輝かせるために「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

今どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも、私たちの内なる神々は常に私たちと一緒です。苦しい環境こそがかえって私たちの魂を削り、磨き輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ心を振り返るきっかけともなります。

飢餓の中、空腹の中一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。

渇きの中でコップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。

苦しみの中に在って、ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けがどんなに、心を励ましてくれることか。

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた心の扉が開かれた時です。 自分の中の神々と繋がった時です。

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。