今まで日常と異なる世界やこの国の大きな出来事が
起きたことは幾度もあります。
そしてその時、瞬間に感じたことが実は真実だった
ということがほとんどでした。
そのことは後でわかってきます。
決して後付けではなくて、自分だけが知っていること。
もちろん自分だけということは、実は全ての人が知っていること。
1995年1月17日。
朝早くに大きくこの名古屋でも揺れた大地。
朝黙想中に来ました。この時は、
「来た。!」と感じました。
そしてそのあとすぐ「やられた。!」
でした。
どこかからのこの国に対する脅しと言う感覚です。
同じ年のオウム真理教事件では
「大きな力・・・」と漠然と感じました。
何か得体の知れない、そしてこの国の秘密を握っている
方たちの戦争と感じました。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで
ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだ時には、
丁度金沢での集いのあとの名古屋への帰途、
サービスエリアで休憩に入った時間に
長年連絡のなかった友人からケイタイに電話。
「山田さん、今のテレビのことどう思いますか。?」
に対して「やらせ。」と答えていました。
次に2003年3月の湾岸戦争が始まった時は
「また 奪う・・」
そして2011年3月11日の東北大地震です。
会社に居るときに大きなゆっくりとした揺れ。
尋常ではないと知らせていました。
すぐテレビをつけて見ますと、しばらくして
大津波の様子が・・・。
この時は「また 脅して・・・」でした。
ですがこの地震ではこの国の国土が棄損し
長く住めない地域が出ることにものすごい悲しみが
わいてきて「なんてことをするのか・・・」と
思った後「実験?」という言葉がわいてきました。
人間はものすごいどす黒い想念を抱くこともあります。
なのにそのことの認識がない。
だから良いとか悪いとかを遥かに超えた何か
得体の知れないものがあると感じざるを得ませんでした。
直近では2019年にこの国に一報が入った
武漢発のウイルス騒動の勃発の時です。
この時は「ウソ・・・」でした。
今大切にしていることは、想念をためないことです。
気になることを作らない。そしてためない。
そのためには要望されたらすぐやる。
何かの気持ちがわき上がった時もまたすぐに
実行する。
ですからいつでも心に何も貯めないように
していくと何かが起きた時判断する基準がないので
直感が浮かびます。
ですから直感は全体の真理とも言えるのかも知れません。
自ら湧き上がる直感を大切に。
これからも生かせていただきたいと願います。