致知出版社の「一日一話 読めば心が熱くなる・・」 その12~母性のスイッチが入る瞬間

「母性のスイッチが入る瞬間」

内田美智子  助産師

 自分の目の前に子どもがいる状況を
当たり前だと思わないでほしいんです。
自分が子どもを授かったこと、子どもが
「ママ、大好き」と言ってまとわりついてくることは、
奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと
知ってほしいと思うんですね。
 そのことを知らせるために、私は
死産をしたお母さんの話をするんです。

 そのお母さんは、出産予定日の前日に
胎動がないというので来院されました。
急いでエコーで調べたら、すでに赤ちゃんの
心臓は止まっていました。
胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。
早く出さないとお母さんの体に異常が起ってきます。
でも、産んでも何の喜びもない赤ちゃんを
産むのは大変なことなんです。

 普段なら私たち助産師は、陣痛が五時間でも
十時間でも、ずっと付き合ってお母さんの
腰をさすって「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから
頑張りぃ」と励ましますが、死産をするお母さんには
かける言葉がありません。赤ちゃんが元気に
生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、
死産のときは本当に静かです。
しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが
響くんですよ。

 そのお母さんが分娩室で胸に抱いた後
「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。
明日にはお葬式をしないといけない。せめて今晩
一晩だけでも抱っこしていたいと言うのです。
私たちは「いいですよ」と言って、赤ちゃんに
きれいな服を着せて、お母さんの部屋に連れていきました。

 その日の夜、看護師が様子を見に行くと、
お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に
座り、子どもを抱いていました。「大丈夫ですか」と
声をかけると、「いまね、この子におっぱいを
あげていたんですよ」と答えました。よく見ると、
お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、
赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。

 死産であっても、胎盤が外れた瞬間にホルモンの
働きでお乳が出始めます。
死産したお母さんの場合、お乳が張らないような
薬を飲ませて止めますが、すぐには止まりません。
そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたらじわっと
お乳が滲んできたので、それを飲ませてあげたかった
のでしょうね。

 死産の子であっても、お母さんにとって子供は
宝物なんです。生きている子ならなおさらです。
一晩中泣きやまなかったりすると「ああ、うるさいな」と
思うかもしれませんが、それこそ母親にとって
最高に幸せなことなんですよ。

 母親学校でこういう話をすると、涙を流すお母さんが
たくさんいます。でも、その涙は浄化の涙で、
自分の授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。
「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人が
いるのなら私も頑張ろう」「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」
と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。