2311「灰汁(あく)」2021.4.24  自分で自分を自分する から

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今回は「いっぷからのありがとう」さんの2021年04月15日の「あぶりだされる灰汁(あく)」と2021年04月14日の「持って帰るもの」記事を紹介します。

あぶりだされる灰汁(あく)

コロナウイルスの影響で、人々の心が殺伐としてきており、

・不幸にも感染してしまった本人や家族への嫌がらせ

・医療従事者の子供たちへの差別

・県外ナンバーの車への嫌がらせ

・公園で社会的距離を置き、息抜きをしている親子への怒声

などが起きているようです。

丁度100年前に起きた大災害、関東大震災の時もひどい事件が起こりました。

大正12年(1923年)の関東大地震によって生じた関東大震災の混乱の中、「混乱に乗じた朝鮮の人たちが凶悪犯罪、暴動などを画策している」のではないかという疑心暗鬼の中、官憲や民間の自警団などにより、多数の朝鮮系日本人や朝鮮人と誤認された人々が殺害された事件です。

こういう時代、人々の心が極限状態に置かれてくると、心弱い私たちは、そのはけ口を、立場の弱い人に向けがちです。それも「正義感」という誤った、虎の威を借りているためタチが悪いものです。いじめの集団心理状態に近いものがあります。

このいじめの集団心理状態の中では、自分以外の他人の言葉や、行動に寛容さが足りず、すぐに歪んだ正義感を振りかざしその雰囲気に付和雷同した人々とともに相手をとことんまで、貶めて、再起不能にさせます。

自分さえ良ければ・・の心弱いものをいじめることで、うっぷん晴らしいじめられた人々が悲しみの涙にくれるのを見て歪んだ優越感、薄笑いさえ浮かべます。

ですが、その姿を、私たちの内にいらっしゃる神さまは見ています。

私たちの心の内にある良心は、果たしてそのうすら笑う姿を見て、喜ぶでしょうか?

また、このような状況をあえて作り出し、人々が苦しみ、悲しむ中、陰で大小さまざまな利権に群がり

・今だけ  ・金だけ  ・自分だけ 

そのような人々も存在します。

ですが私たちの本当の心は、きっと、いじめられた人以上の苦しみ、悲しみの涙にむせんでいるのではないでしょうか?

このような心では、これから始まろうとする「皆の心が大切にされる世の中」とは、全く正反対です。まさに、大きな時代の変化の中で今、不必要となった感情、心が、あぶりだされています。

地球は、それを「早く捨てなさい」と言ってあぶりだして、見せてくれているのですが、今までの思考パターンや、時代の変化に乗れない人々はその精神性の低い状態から、なかなか離れることができないようです。

これから間近に来ようとする世界は、

・優しさ、

・真心、

・愛情、

・笑顔、

・お互いさま、

・お陰さま

そのような心が大切にされる世の中です。

変わることのできない魂は地球の変化に付いていけず、自分の波長に合う場所へと移動せざる得なくなることでしょう。

それは、パラレルであったり、次元が異なる世界であったり他の惑星であったりすることでしょう。

宇宙には波長の法則がありますから、同種の波長の中でしか生きていけないからです。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。

周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。

持って帰るもの

みずがめ座の時代に入り、今まで隠されてきた真実である霊主体従の時代、つまり、人間の心で思ったことが、この物理的な次元でも、現実化するスピードが、非常に早まる時代になりました。

物やお金が絶対の価値を持つ時代から、情報やネットワーク、コミュニケーションなど

・目に見えないもの

・物質ではないもの

が大切にされる社会に変容しようとしています。

また、この時代は、宇宙の法則与えたものが、受け取るものの法則が、あまり時間差なく

目の前に現れる時代でもあります。

常に

・優しさ、

・真心、

・愛情、

・笑顔、

・お互いさま、

・お陰さま

を心がけようとしている人にとっては、物凄い朗報です。

その心を相手に対して出した良き思いが、倍のパワーで、神さまの恩寵も伴って同じ物が、時間を置かずに、自分自身に帰ってくるからです。

さて今日は、作家、故三浦綾子さんの「氷点」「続・氷点」からご紹介します。

一生を終えて後に残るのは、我々が集めたものではなくて、我々が与えたもの。あくせくして集めた金や財産は、誰の心にも残らない。

しかし

・かくれた施し、

・真実な忠告、

・あたたかい励ましの言葉

などは、いつまでも残るのだ。

これに対して、故ノートルダム清心学園理事長渡辺和子さんは、こう仰います。

一生の終りに残るものは集めたものだと思いがちである。方々に旅行して集めためずらしい品、買ったもの、預金通帳に集めた金、土地、建物。しかしながら、人はこれらのものを、持って死ぬことはできない。

お棺の中に入れたとしても焼けて灰になるものばかりであり、そうでなければ、遺品として他の人に分けられるものでしかない。

その人が、死後も「自分のもの」と呼べるもの、その人とともに永遠に残るものは、生存中に与えたもの、つまり愛なのだ。

この愛と呼ばれる目に見えないもの、レントゲンで写しても決して映らないもの、手術をしても解剖してもメスに触れえないものこそ、人生を生かす大切なものなのである。

<引用終了>

私達は肉体が亡くなっても、その精神、魂は生き続けます。どちらかと言えば、そちらの方が本物の生とも言えます。私達が人間として生まれることは大変なことなのだそうです。

それこそ、文字通り、「有難し」なのだそうです。

沢山の生命体が人間として生まれてきたがっているそうです。それは、人間としてしか味わえない、何物にも代えがたい経験が出来るからです。

そうまでして、はかない人生を通じ、元居た世界(天国)に戻る時、私達が、そこへ持って帰れるものは・・我々が集めたものではなくて、我々が与えたもの愛 なのだそうです。

皆さん、愛 を感じたことはありますか?お一人お一人、その感覚は違うものかもしれません。ですが日常の生活の中に、いくらでも、その種は潜んでいるものですね。。

愛を感じた時、胸がじんわり、そして自然に両手が合わさります。

1508年、友情と感謝の心で制作された「祈りの手」
相手に対する

・優しさ

・思いやり

・受容(そのままを受け入れる)

・寛容

・愛情

そしてそこから生まれる

・助け合いの心

・お互いさまの心

そんなものが大切なのかもしれないですね。

そこから育まれた愛は永遠の宝として、肉体無き後も魂に刻まれることでしょう。

愛に溢れた心で、世の中を見渡してみれば、全ての営みが調和しており、いたるところに神々の恩寵を見ることができるでしょう。すると、もう感謝の心しか湧いてこなくなることでしょう。

夜明けは近いです。もう少しの辛抱です。それまで命を繋いでください。周りの人に優しくしてください。愛を分けてあげてください。それが自分の身を助けることに繋がります。