どこまで人は許せるか

ICLOUDに入っていた、もう20年来の
魂の友人M女史からのメールを四日後に開きました。
どこに入っていたのかがわからなかったのです。

ジャストナウが信条なのに、なんとおろかな。(笑)

彼女にしてはめずらしく大変に長い、心の底からの
最近を伝える深いお言葉に接し、何度も繰り返し
読んでしまいました。

「一日一話、読めば・・・」の中の7月31日の文章、
「どこまで人は許せるか」に震撼としました。

子供を事故で亡くした親の心境です。

逆縁といっても、事故と病気では親の受け止め方は
異なります。
しかも他の人が原因となっての事故死を
両親はどのように受け止めたらいいのでしょうか。
心が震えるような悲しくも、温かい人の心を知ります。

もし自分だったらどうしたのだろう。
その場にならないとわかりません。

妹の御主人が交通事故で亡くなったとき、妹は
事故のお相手のことをどのように感じていたのだろう。
葬儀にもおみえになって、いずらそうにしていた
あの人。
その方からのお香典を受けとったらいいかどうか、
その場で相談に来た妹。

「お相手の気持ちだから、受け取った方が
お相手も気が楽でしょう。」
とそのとき答えた自分がいました。

人生の大親友だったS君の事故死が原因の
葬儀の時も、S君を引いて轢いてしまった当事者の若者が
葬儀場の片隅で震えるようにしていたとき、
やはりお声が出てまいりました。
「仕方がないんだから」
心やさしいS君なら、きっそうしてくれと
自分に頼んだんだろうと思いました。

肉親を事故や殺人で肉体を失うことになったら
ほんとうに自分ならどのような心でいられるのだろうか・・。
今もわかりません。

ですが刑場で刺されて亡くなったイエスは
「彼らは自分のしていることがわからないのです」
と言って、赦したのです。

人間の肉体との別れ、永遠に続くと言われる生命。

人間の旅もまた永遠でしょうか。