Iさん懐古 その8~たった一つのいのち

「たった一つのいのち。人間は神の化身。」

命がひとつなんてありえない。!

人間が神の化身だなんて!信じられない。

というお声がかかりそうです。

その確証は体験によることしかありませんが、
Iさんは幾度もその体験をなさったようなので
確信の言葉なのでしょう。

人間は肉体ではないと心底から悟れば
人間の実存は生命ということになります。

車だと車本体でなく、運転手です。
運転手が降りたら、車がもし使われなければ
ガラクタです。

生命が運転手で、身体は車です。

そうすると生命にあの生命この生命なんて
ものはなく、分離がないということになります。

元は源は一つでしょうか。

よく西洋では「生命の樹」にたとえられます。
根、幹、枝、葉それら一つはみんな繋がっていて
一つで木ですから。

「あなたは何であるか」が自我の最初の質問です。
小学生の時に、鏡をじっと見つめながら自分に
問いました。
「あなたって誰?」
じっと見ていたら、怖くなって、何もわからなくなって
考えるのをやめました。

まだ少しだけ無垢な小学生は「あなたとは生命であり
元は一つである」ことの真理を理解していたのかも知れません。

それから随分と自我が勝って。自我まるけのというか、
自我が自分であると信じて後は何も疑わないでいました。

でもいろんなことがあって、その自我を粉砕し
もしかしてこれが自分?というところまでやってきました。

「人は一人では正気を悟れない」

そのとおり、人生上のさまざまな配役の方々が
自我の粉砕を手伝ってくださいました。
考え学び実践する。その繰り返しが長く続きました。

そして「見性」がありました。

あとはまた引き戻そうとする自我を
起きる出来事、お出会いする人々を
通じてすべてに「赦し」の概念をそそぎながら

「分離とは分裂した心の別名にすぎない
戦いが分裂した心であり分離」だと肝に銘じて

「あなたはわたし」を実践してきました。

それでも自我はなかなかに手ごわいです。
身体を離すまでの「愛」と「自我」の打ち消しあいは
続くのでしょうか。

「自我」は「愛」を知っていますが、愛は「自我」を知りません。

身体を守れば 私たちは自分の心を攻撃していることに
なるのでとても厄介です。
たった一つのいのちだという真理への攻撃です。

人間は神なる父から創造された子だから
神そのものでもあります。

「たった一つのいのち。人間は神の化身。」