今の社会という幻想

今という時代に起きていることを考えてみました。

今朝の新聞やネットで子供の出生率の劇的低下の
ニュースが気になりました。

なにより生活が維持できるのかがもっとも大きな
不安であり、子供を産んでもやっていけるかどうかの
不安です。

フランスのように生まれた子供が誰の子であろうと
社会全体で子供たちを育成しようという社会風潮があれば
女性は子供を産むことに不安は在りません。

ですがこの国では誰の子かが問題になるような社会です。
まだまだ開かれた社会とは言えません。

そして多くの方々の不安は貯蓄のなさや
お金の問題。
そして健康やお人との関係性の問題。
それらの意識が総合的に社会を覆います。

さらに感染症による大きな社会変化が
いかなる人の周りにも起きています。

会社はずっと続いていた売り上げの維持や
増進という言葉がむなしいほどその現象は
大方の会社で起きています。

そしてそのことによって国家からの救済が見られます。
成熟した国家ではあらゆる方法で弱者を
救済しようという試みがなされます。

売上の維持または増進ができている事業体は
全体の15%。

だから感染症は85%の世界に経済的影響を与えました。

ずっと感染症に影響される状況が続けば
ずっと救済が必要なのでしょうか。
それとも救済から抜け出て、全体が今までと
異なる状況を創造し、異なる社会が現出するのでしょうか。

救済の状況が続けば、戦後からの世界観が大きく
変化してきます。構造が社会主義のようになっていることが
大衆の目に明らかに見えてきます。

みんな現状から抜け出ることはとても怖い。
だから神社のお参りがとても多いわけです。

減収、リストラがこれからの社会に
大きな風となって巻き起こるのでしょう。

リストラはする方にもされる方にも心の憂いを
残します。人が人を立て分けるのですから。

元来人は自分なのですから。
自分を切ることになるのです。

どちらもどんなにつらいことでしょう。
そしてそれに関わる家族もあります。

人々の不安という意識はどこまで広がりをみせて
いつ収束するのでしょうか。

今日は不安を書くのではなく希望を書くのでした。(笑)

この目の前の世界が全てのすべてだと考える方には
とてもこれが夢だとは思えないでしょう。

でもこれが夢だと思っている方も確かにいます。
その方にとっては現実は「たいしたことではない」ようです。
あることを受け入れてすべてを赦していく作業が人生だと
わかっていたらなんでもOKですね。

そう思って切り替えたときにはもしかしたら
信じて疑わない目の前のすべてだと思っている
現実が大きな変化を見せてくるかもしれません。

やってみるしかありませんね。

あなたが学びたいと思うことの多くは、
まさにそれらの価値が永続しないからこそ
選ばれる場合がある。

「分離が楽園喪失ということの意味」

「牢獄からの解放」は近いのかも。