「私 足助出身なんです。」
町内に半年ほど前にできたカウンターのみの
飲み屋さん「あんこ」のおかみさんです。
10年飲食店で修業し、決めていたとおり独立。
以前のお店もなんどか通っていたので、知っていました。
でも突然に御町内にお店ができたことは
不思議でした。ここは以前ラーメン屋さんで
わりに人気があったお店ですが二軒続けてラーメン屋さんで
長続きしませんでした。
おかみさん、といってもまだ20代です。
「一人でやる。これが目標です。」
「いろいろ探していて、良い場所もあったのですが、
どうしても決断できなくて・・・
そしたら突然にこの場所の話が持ち上がって、
決めました。お客さん前からのお方は少なくて
ほとんどこの半年で新しい方ばかりです。
それでネットの宣伝もしなくなって
せっかくおいでくださるお客さんが
狭い店でもはいれるようにと・・・。」
この前カルパの食材を作っていただいたお店です。
今日これまた突然にお店に来ていただいた
K女子とともに、午後3時開店のこの店「あんこ」さんに
座った後のお話が。
「私 足助出身なんです。」 でした。
そこでまた長話が始まります。(笑)
「足助町にはとても高名な方がみえました。
鈴木正三という方で、武士から禅僧になられました。
その昔武士からの出家は赦されず切腹でした。
ところが時の将軍は鈴木正三に私淑していたので、
それを特別赦しました。
後にこの正三はキリシタン征伐後荒れた天草の地を
殉教し、平和な地にするという貢献をします。
鈴木神社が今でもあります。」
「・・・・」
「その鈴木正三が大好きで研究していたのが佐藤一道さんという方です。
その佐藤さんは無言念仏で有名な足助の奥の綾戸地区の
平勝寺の住職さんです。
ところがその佐藤住職は実は町内の白龍神社の道を
はさんで南側にあった旅館の跡取りさんだったんです。」
「・・・なんか鳥肌が立ってきた。
平勝寺のある綾戸地区は昔から不思議なことが起きる
場所なんですよ。」
「佐藤さんは大きな薬品会社に勤めていたんですが、
人間としての生き方がわからず、探求してとても悩まれます。
これは家内の古くからの友人でもあった奥様からお聞きしたことです。
探求の日々に一冊の本に出合います。
それが内山興正師の「大空が語りかける」という
詩篇です。
その本を読み感動された佐藤さんは、すぐに
内山さんに会いに行かれ、仏門に入る決心をします。」
その後 町内の旅館を閉じられ、足助町の山奥の
綾戸「平勝寺」の和尚さんになったのです。」
「私がここに来たのも偶然じゃないですね。
私お祭り大好きなんです。
今年はだめでもまた来年やらせてください。」
そんなわけで、コロナなのに防御もせず、
マスクもせず、お客さんも完全に密すぎるこの
「あんこ」さんは超逆境の時から始めた凄い店と
なっています。
こっちもしっかりしなきゃあ。。
「大空が語りかける」内山興正 師
「自分」
苦しみながら 苦しんでいない自分あり
悲しみながら 悲しんでいない自分あり
得意でありながら 得意でない自分あり
酔いながら 酔っていない自分あり
そんな何んともない自分にはっきり覚めて
それに深まるなかに 安らう自分あり
「蒼穹(あおぞら)」
みつめても みつめても
みきわめきれない その深さ
明るく透きとおっているのに
み据えられない その奥行き
雲たちを思いのまま飛ばせながら
ゆきづまらない その広さ
地上一切までも やわらかく包んで
ゆるしている その大ほらかさ
有と無と分かれる以前のすがたで
蒼穹はある
有るかぎりの在るものも
すべてみな 蒼穹のごとくに
あるのではないのか
この私自身までもふくめて
「仏道をならふといふは自己をならふなり」
-正法眼蔵現成公案-
あなたが呼べば 私はこたえる
それは 私が 私にこたえるのである
世界についての情報を 私はきく
それは 私についての情報を
私がきくのである
あなたが困っていることに
私が手を貸す
それは 私が困っていることに
私の手を貸すのである
私が 師にしたがって学ぶ
それは 私が
私にしたがって学ぶのである
そんな 何をとりあげても
自己でないものはない
生きた自己ぎりの自己をならうこと
それは 自受用三昧(じじゅゆうざんまい) 仏道を
ならうことである