無垢性への回帰

「誰が自らの失われた無垢性を嘆くため以外に
涙を流したりするだろう」  奇跡講座

もうすぐ2歳になろうとしている孫娘を
見ているとそのことがよく理解できます。

誰でも生まれて来た時は完全な無垢性を持っています。
一歳半くらいまではその無垢性が溢れています。

そのうち環境とは何かを認識し、言葉を覚え
自我が芽生えてきます。
何をすれば要求が満たされるのか、
何をすれば拒否されるのか。
体験の中から環境に適応していきます。

目の前にある環境が実相と勘違いします。
勘違いの始まりです。

そして大人になってますますそれは激しくなります。
生活、勉強、仕事、恋愛、結婚など肉体や精神の果て無き
欲求が強固にその信念を固めていきます。

そして人の環境はさまざまです。
それゆえにさまざまな自我の虜になります。

「心身の神癒し」 マグドナルド・ペインの本の中では
聖霊の力を受けてイエスが出現し、集まった少数の人々に
語りかける冒頭の言葉「果敢(はか)なき感官をもつあなたたち」
に現実を実相ととらえて離さない人々への大きな愛が感じられます。

再び

「誰が自らの失われた無垢性を嘆くため以外に
涙を流したりするだろう」 

人生上の数々のシーンで感情のない理由のわからない涙が
溢れてまいります。その時人は無垢性への回帰を思い出すのです。
無垢性を失った嘆きの涙でしょうか。

音楽、言葉、声色、芸術 音、韻などなどから
人々は不思議な感慨を得ます。
そして涙を流します。

何故でしょうか。

天地人 日月星 父と子と聖霊などなど
三位一体を表す言葉です。

天地人も日月星も現象世界での三位一体です。

父と子と聖霊は少し異なるようです。
こちらはキリスト教徒ではありません。
そしてあらゆる宗教の門徒でもありません。

父と子は繋がっていて一体。
すべての人です。
神の創造物と言われる森羅万象のすべては
被造物ゆえに万物に神宿ると言われます。

ですから万象万物も人と同じく神と一体です。
ですが実相ではない。

実相は三位一体。
父と子と聖霊です。

聖霊もまた神の被造物であり
言葉であり、音であり、光である。
聖霊は無限の忍耐をもって人を導くメッセンジャー。
涙は無垢性への回帰。
光や音楽や芸術や舞台や言葉、韻などによって
涙を誘うのは聖霊の働きと言ってもよさそうです。

分離感をなくすことで完全な父と子と聖霊の
一体感が達成されれば、無垢性、無限性への回帰と
なるのでしょうか。
そして何も見えない光一元の世界へといざなわれるのでしょうか。

「赦しのみが 教える必要のあるすべて

赦しのみが 学ぶべきすべて」

教える者も 学ぶ者 一体となる。

浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空

今日を かけめぐるも 立ち止まるも
青き 青き空の 下の出来事

乱れ雲 白き夏
一人旅 長き冬

春を待ちわびるも 忘れるも
遠き遠き道の 途中でのこと

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 陽水 「結詞」