はずかしい病の遍歴を吐露させていただくことを
お許しください。
もともと病気は実相世界にはありません。
この世界では、病気が自分を選んでくれました。
放蕩息子である身にもっと錯覚せよと
呼びかけるかのように、肉体に変調をおこさせる
ある力があります。
自我です。
「気」を病む結果が、病気という形をとって
肉体に変調を起こし、意識の実相からの離れを
促します。
逆にいいますと、病気は実相への気付きのチャンスです。
胃がこちらの身にはもっともそのチャンスが
多い肉体の部位です。
三度の体験があり、二度はその当時行っていたことを
変更するようにとの促しに思えました。
最初は29歳の冬。
42年前名古屋市の中川区の地で新しく
会社組織を立ち上げました。
4人での第二創業となりました。
建築の板金ですから、屋根や壁の金属材料
そして塩ビの雨どいなどを販売する会社です。
バブル少し前の景気が上向き加減の時代でした。
仕事は少人数ですから、配達、倉庫、加工、営業と
会計を除くすべての仕事をしました。
お正月には雨どいを二トン車に満載して
初荷としてお客様に配達します。
その日も満載してお客様への配達を終えて
帰社する途中、名四国道で胃が激しく痛み
広い道の端に車を停め、運転席に横になってしまいました。
それから幾時間経ったのかわからぬまま、目が覚めました、
まだ携帯電話がないころのことですから、
おそらく心配しているであろう会社の皆さんに
公衆電話から電話し、そのまま病院へ行くことを
告げました。
掖済会病院で受診しました。
お医者の「動いてはいけない、すぐ入院です。」
との言葉に従い、入院しました。
それから21日間入院生活です。
幸いにして、ペニシリン注射と投薬のみで
快復しました。
入院中無性にその頃世界的に問題になっていた
中近東のことを知りたくなり、入院の期間中
それらの関係本を幾冊か読み理解に努めました。
そして意識の変革が大切と思い自分に誓いを立てました。
仕事仕事で自分を極度に追い込んでいた結果でした。
「一週間に一晩だけは自分一人で
出かけ、一人だけの時間をもつこと」
そのような啓示のような思いが湧き上がり、以後実行です。
薬はやめないで一生飲み続けてください、との
お医者の指示をあっさりやぶりました。
「薬を飲み続ければ、胃がさらに弱くなる」
このことも啓示でした。
すこし怖れがありましたが実行しました。
リラックスの時間を持つことで完全快復となりました。
それから29年後の58歳の年に再び胃潰瘍となりました。
それでも29歳の年にその症状は体験済みだったので、
どのようになれば、無理はできないとわかっていました。
だましだましの数か月が経ち、その年の夏、朝明渓谷で
仲間でのバーべキューの集いがある日の前日、家で
吐血。娘がすぐ近くにいてバケツに血を吐く
父の姿を見て「お父さん死んじゃう!」と叫んだ声が
今も聞こえます。
そんなことがあっても今度は病院に行かず、
(胃カメラを飲むくらいなら、死んだほうがいいと思っていた)
翌日の集いには青い顔で参加しました。
何があったかは誰にも言わずに。
それからはあらゆる食事療法でなるべく安静にし、
今度の病の「原因」となったことをすっぱりとやめました。
DDNの電話のネットワーク事業です。
50人で立ち上げた法人の未来のためにと思って
開始した事業でしたが、やはりこれはだめという
啓示と感じました。
それから14年間が経過し、今年の2月最後の週に、
深夜トイレの中で倒れました。
今度はほぼ無自覚でしたが、何か食事の量が減ってきていました。
救急車で病院に運ばれ、すぐ緊急手術です。
胃の潰瘍性出血でした。
それからきっかり一週間の入院。
今度は息子に世話になり、彼のたくましさを感じました。
入院中トルストイの「文読む月日 2」を読破しました。
テレビは一切見ずに、ずっと読み続けました。
看護室では噂になっていたのか、最後の日ある看護師さんが
検温に来てくださった時「看護室では山田さん噂ですよ・・」と
言われ、少し会話があった時に「実は・・・」と
短時間のお悩み相談でした。
「本当に心の奥が叫んでいる方を選んだらいかがですか。」
とこたえました。
看護師さんは大粒の涙を流したあとお礼を言われ
退室して行かれました。
おそらくその大病院を退職されたと感じさせます。
一週間後の再検査「楽しい胃カメラ」はコロナを
理由に断りました。コロナが助けてくれました。
そしてやはり薬の一切をいまだにやめています。
さて今度の啓示は少し霊的でした。
少しも原因に心当たりがなく、今度はやっかいだなと
感じNさんに相談しましたが、それは雲をつかむような話です。
きっかけとなったであろう神社へは、まことに不思議なことに
8か月の間に3度参詣する(すべてお誘い)ことになり、最後の参詣の日の
深夜に搬送されたのです。
その最後の参詣の日、神社到着まぎわに無性に
のどが渇いてきて、コンビニが目に入ったので信号を
わたりコンビニに入ってお水を買って車に行きますと
ポリさんが窓をとんとんとたたかれて、進入禁止違反でした。
普通ですと絶対に見落とすはずのない進入禁止の
マークがついた信号機です。
「のどが無性に乾く」このことが何かを感じさせました。
大変なことがあればあるほどに立ち上がります。
今度は霊的な理由のようでしたが、何かを成す前の
啓示ととらえ、今度もクリアーできたことに感謝しました。
病は告げています。
「私があなたを選んだ」
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